戊辰戦争での本願寺隊の参加、官軍であることの証し | 日本の歴史と日本人のルーツ

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戊辰戦争での宇和島藩兵の活躍を描いた絵画が見つかった。

この絵画の正面に大きく西本願寺の僧兵達(本願寺隊)が描かれている。西本願寺は長州藩などの倒幕派に心を寄せて、幕府や新撰組には消極的な対応をしていた程度のものと理解していた。

戊辰戦争が勃発した時も本願寺隊は御所の警備をしたとのことであるが、洋式武装の宇和島藩兵より手前に、真っ先に目に入る様に絵画に描かれるほどに重要な立場にあったことを示唆する。

すなわち、一般民衆を門徒とする西本願寺の支持を得た官軍側の集団を描いた絵画であることが、錦の御旗や説明文などが無くてもすぐ分かる。


追加

「勝てば官軍、負ければ賊軍」とか、「薩長軍はどさくさ紛れに錦の御旗を作って官軍と称して戊辰戦争を行った」と主張する東北地方の歴史研究家がいるが、当時の天皇などが支持し、一般民衆が参軍した方が官軍と定義した方が適切である。


雑談

東本願寺は幕府の干渉によって分離独立した経緯から幕府寄りの立場にあった。このため当時は態度を明確にしなかった故に、明治以降、困難に直面した。


参考

① 戊辰戦争勃発時の京都御所 絵が伝える緊迫感と高揚感

朝日新聞(2018.10.10、参考)

戊辰(ぼしん)戦争の発端となった鳥羽・伏見の戦いが勃発した慶応4(1868)年正月3日夜の京都御所の様子を描いた絵がみつかり、京都文化博物館(京都市中京区)で展示されている。歴史が転回する緊迫の場面を精細に活写し、専門家によれば、美術的にも資料的にも貴重な作品という。

作品は、四国・宇和島藩出身で、明治時代に長崎で活動した画家の小波魚青(こなみぎょせい)が描いた「戊辰之役之図(ぼしんのえきのず)」。近代画家の発掘で知られる星野画廊(京都市東山区)の星野桂三社長が入手し、京都大学人文科学研究所の高木博志教授(日本近代史)らと調査し、昨秋に画廊で初公開した。

縦81・4センチ、横143・2センチの大作。京都御所に公家が参内する公家門=宜秋(ぎしゅう)門=の門前を舞台に、洋式の武装をした宇和島藩の兵士や、頭に白いかぶり物、手に棍棒(こんぼう)を握り、腰に刀を差した本願寺の僧の集団、新政府軍の優勢を伝え聞いてあわてて参内する公家の様子などが描かれる。

門前には大砲3門が並び、仮小屋の屯所が造営されている。南の方角では、下鳥羽(しもとば)付近の戦闘の炎のためか、空が赤く染まっていく様子や、戦況を知らせる早馬の駆けていく様子も描かれ、見ている者に戦争勃発直後の緊迫感と高揚感が伝わってくる。

作者の小波魚青は、宇和島藩の砲術指南役の家に生まれた。幕末に京都で四条派の長谷川玉峰(ぎょくほう)に師事して絵を学んでいた際、鳥羽・伏見の戦いが勃発し、現場に居合わせたとみられる。

星野さんは「戊辰戦争の動向を記録した文書は多いが、そのときの情景を描いた絵画はほとんどない。装束や馬のあぶみまで細かく描き分けられ、四条派に学んだ画家らしく、考証を重ね写実を追究している」と指摘する。

高木さんによれば、この絵は、明治23(1890)年に東京であった第3回内国勧業博覧会に出品され褒状(ほうじょう)を授与された。前年の明治憲法発布に伴って大赦があり、戊辰戦争で「賊軍」とされた幕府や会津藩、仙台藩などの罪が許された時点で発表されたことになる。「戊辰戦争から20年以上たって、ようやく維新や近い過去の歴史を自由に語ることができるようになったのではないか」

宇和島藩は幕末、倒幕を推し進める薩摩藩と長州藩に「公議」を無視すると反発しつつ、官軍側として戊辰戦争に参加。だが、維新後は藩閥政府に置き去りにされた。

高木さんは「維新に乗り遅れながらも、宇和島藩も一貫して勤王の立場で、重要な役割を果たしたと主張する意図も読み取れる。日本に歴史画というジャンルが成立していくなかで、歴史が転回する場面を迫真の描写で描いた優れた歴史画の大作だ」と話す。

作品は、11月25日まで京都文化博物館(075・222・0888)で開催中の特別展「華ひらく皇室文化―明治宮廷を彩る技と美」で展示される。(久保智祥)

小波魚青「戊辰之役之図」=星野画廊提供

京都御所の宜秋門


② 西本願寺は自警団「本願寺隊」を結成し、いざという時に備えた。

本願寺隊は尊王派寺侍である松井中務が中心となって組織された部隊で、寺侍や僧侶の中で武術に長けた者380名から成る。鳥羽・伏見の戦いに際しては、門主廣如の養子徳如が本願寺隊を率いて御所の警護に当たった(参考)。


③ 維新農民兵「山国隊」100年ぶり参加 22日の時代祭 明治150年、奉納演奏

産経新聞(2018.10.20、参考)

地元の祭りで行進する山国隊軍楽保存会。150年前の幕末の姿を今に伝える=14日、京都市右京区京北

22日に行われる京都三大祭の一つ、時代祭で、行列の先頭を歩く維新勤王隊列の由来となった「山国隊(やまぐにたい)」が約100年ぶりに祭りに参加する。山国隊は、丹波国・山国村(現京都市右京区京北)の農民らが組織した農兵隊で、戊辰戦争(1868年)の際に新政府軍(官軍)の一員として出陣した。明治150年にあたる今年は隊結成150年の節目。山国隊の姿を今に伝える地元の保存会は「参加がかないとてもうれしい。精いっぱい務めたい」と意気込んでいる。(田中幸美)