ポツダム、ドイツ | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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第二次世界大戦で日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言を決めた英ソ首脳が会談した地はドイツの首都ベルリンのすぐ近くであった。

この地には、英ソを中心とした連合国に破壊・占領されたベルリンと異なり、米英ソの首脳と随員達の宿泊・会談に適した会場があった。

この会場は1917年に皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建設されツェツィーリエンホーフ宮殿である。

ツェツィーリエンホーフ宮殿


ツェツィーリエンホーフ宮殿


ツェツィーリエンホーフ宮殿はポツダム駅の北


ポツダムはベルリンの南西部

ドイツのポツダム


参考

① <あのころ>ポツダム宣言を発表 英ソ首脳会談で決定

共同通信(2018.7.26、参考)


1945(昭和20)年7月26日、ドイツのポツダムで会談した(左から)チャーチル、トルーマン、スターリンの英米ソ首脳が日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言を決め、中国の同意を得て米英中3カ国名で発表した。ソ連は対日参戦後に参加。広島、長崎への原爆投下を経て8月14日の御前会議で政府は正式に受諾した。


② 1945年7月の破壊されたベルリンとブランデンブルク門(参考)



③ 写真(下):1945年7月13日、ドイツ、ポツダム会談の開催されたツェツィーリエンホーフ宮殿:1917年に皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンのために建設され、ポツダム宮殿とも呼ばれた。1990年、ツェツィーリエンホーフ宮殿と庭園が「ポツダム・ベルリン宮殿・公園群」の一角としてユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録された。