纏向遺跡が卑弥呼の都であった確率が高まった! | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

纏向遺跡から出土した桃の種の年代測定は国内の2研究機関が実施。名古屋大の測定で135~230年ごろのものとされ、別の機関もほぼ同年代と測定した。すなわち、纏向遺跡は卑弥呼が生存して政治を司っていた時代のものであることは確実になった。

しかし、桃の種が出土する遺跡は纏向遺跡のみでは無く、縄文時代あたりから、あちこちで出土するようで、纏向遺跡を卑弥呼の都とする根拠には不十分であった。

ただし、纏向遺跡の近くの古墳から出土する三角縁神獣鏡に刻まれた年と卑弥呼が魏に使いに行った年が一致すること、舶載鏡と仿製鏡が明確に区別されること(参考)、そして古墳時代最初期の前方後円墳である箸墓古墳が卑弥呼の墓とほぼ同じサイズで、築造年代もほぼ一致するとすると、日本全国から纏向へ集まった遺物が出土することから、ほぼ間違いなく纏向遺跡が邪馬台国の首都と考えられる。


参考

① 出土の種、卑弥呼と同時代「邪馬台国」説の纒向遺跡-奈良

時事通信社(2018.5.15、参考)

邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡で発掘された桃の種。放射性炭素年代測定の結果、西暦135~230年のものとみられることが分かった(奈良県桜井市教育委員会提供)

邪馬台国の有力候補地とされる纒向遺跡(奈良県桜井市)で大量に発掘された桃の種について、放射性炭素年代測定をした結果、西暦135~230年のものとみられることが判明した。同市教育委員会の纒向学研究センターが、14日公表の研究紀要で報告した。248年ごろ没したとされる女王卑弥呼が活動した時代と重なり、邪馬台国の位置をめぐる論争にも影響を与えそうだ。

同センターによると、種は2010年、遺跡中心部の大型建物跡の南側にある、東西約2.2メートル、南北約4.3メートルの穴「土坑」から出土。約2800個が土器や木製品の破片などとともに見つかり、祭祀(さいし)に用いられたとみられている。

年代測定は国内の2研究機関が実施。名古屋大の測定で135~230年ごろのものとされ、別の機関もほぼ同年代と測定した。

大型建物跡周辺は、遺跡が最も栄えた時代に使われた中枢部とみられる。これまでも、出土した土器の形状などから3世紀ごろのものと推定されていた。

同センターの寺沢薫所長は「良好な資料を2カ所の研究機関で調査し、信頼性の高い年代のデータが得られた。これまでの研究結果とも符合し、重要な研究結果だ」と話している。

邪馬台国をめぐっては、畿内説と九州説との間で長年、論争が続いている。(2018/05/14-21:32)


② 桃の核は祭祀遺物と共に出土する(wikiより)

原産地は中国西北部の黄河上流の高山地帯。欧州へは紀元前4世紀頃にシルクロードを通り、ペルシア経由で伝わった。英名ピーチ(Peach)は“ペルシア”が語源で、ラテン語のpersicum malum(ペルシアの林檎)から来ている。種小名persica(ペルシア)も同様の理由による。

日本では長崎県多良見町にある伊木力遺跡から、縄文時代前期の桃核が出土しており、これが日本最古とされている。弥生時代後期には大陸から栽培種が伝来し桃核が大型化し、各時代を通じて出土事例がある。桃は食用のほか祭祀用途にも用いられ、斎串など祭祀遺物と伴出することもある。

中国において桃は仙木・仙果(神仙に力を与える樹木・果実の意)と呼ばれ、昔から邪気を祓い不老長寿を与える植物として親しまれている。桃で作られた弓矢を射ることは悪鬼除けの、桃の枝を畑に挿すことは虫除けのまじないとなる。桃の実は長寿を示す吉祥図案であり、祝い事の際には桃の実をかたどった練り入りの饅頭菓子・壽桃(ショウタオ、shòutáo)を食べる習慣がある。壽桃は日本でも桃饅頭(ももまんじゅう)の名で知られており、中華料理店で食べることができる。寿命をつかさどる女神の西王母とも結び付けられ、魏晋南北朝時代に成立した漢武故事(中国語版)などの志怪小説では、前漢武帝が西王母の訪問を受け、三千年に一度実をつける不老長生の仙桃を授かったという描写がある。さらに後代に成立した四大奇書のひとつ西遊記の主人公孫悟空は、西王母が開く蟠桃会に供される不老不死の仙桃を盗み食いしている。

日本においても中国と同様、古くから桃には邪気を祓う力があると考えられている。『古事記』では、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)が桃を投げつけることによって鬼女、黄泉醜女(よもつしこめ)を退散させた。伊弉諸尊はその功を称え、桃に大神実命(おおかむづみのみこと)の名を与えたという。また、『桃太郎』は桃から生まれた男児が長じてを退治する民話である。3月3日の桃の節句は、桃の加護によって女児の健やかな成長を祈る行事である。


③ 桃の種の出土は縄文時代末期頃までは明らかに遡れる(参考)

岡山市の百間川の沢田地区からは、縄文時代も終わり近い頃の遺溝から桃の種が発見されている。市街地北部の岡大津島のキャンパス内の遺跡からも、縄文時代末頃の桃の種出土が報じられている。このあたりの桃の起源も、その頃までは明らかに遡れそうだ。

桃の原産は中国とされているが、日本には何時その種が持ち込まれたのか。案外米つくりの歴史と連れだっているかもしれない。