福岡空港には米軍基地の役割が今でもあった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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福岡空港は、かつては板付空港とか板付基地と呼ばれ、米空軍の使用が主な空港に民間空港が間借りしていたと思っていた。昭和40年代、米空軍のF4ファントム・ジェット戦闘機が離着陸しており、九州大学工学部があった箱崎キャンパスの大型電子計算機センターの建設現場に墜落した事故を記憶している。

現在は民間空港としての利用が主になって運営も民間企業に任せようとしてはいるが、いざと言う時は東アジアの紛争の前線基地になる役割が今でも期待されているようだ。


参考

① 福岡空港に有事の“密命” 敷地内の「米軍基地」 その実態は…普段は搭乗口 軍事作戦拠点にも

西日本新聞社(2018.5.14、参考)

米軍輸送機(左端)の飛来時に福岡空港の国際線ターミナル付近から撮影した米軍専用区域。目隠しのように立ち並ぶ樹木の向こうにあるのが「米空軍航空機動軍団」の建物だ=2014年10月15日、福岡市博多区

福岡空港の近くに残る米軍弾薬庫跡。「DANGER(危険)」「EXPLOSIVES(爆発物)」などと書かれていた


滑走路1本の空港としては航空機の発着回数が全国トップの福岡空港。その敷地内に「米軍基地」があるのをご存じだろうか。どういう経緯で、どんな役割を担っているのだろう。取材テーマを投票で決める特命取材班・特設サイトのアンケートでは、最も多い得票数を集めた。さっそく調べてみた。

「米軍専用」区域は国内唯一

国際線ターミナル南端にあるゲートの200メートルほど先。空港の敷地内でここだけ、不自然なほど高い樹木が生い茂る一画がある。まるで目隠し。その向こうが約2・3ヘクタールの「米軍基地」(米軍専用区域)だ。クリーム色の大きな倉庫と米軍専用駐機場がある。

防衛省によると、日本の民間空港で米軍専用区域があるのは全国でここだけ。空港の滑走路と誘導路、一部駐機場の計48・6ヘクタールは日米共同使用区域に指定されており、空港の約14%が「米軍基地」となっている。

米軍機の飛来もトップ

米軍機はどの程度飛来しているのか。国土交通省航空局の職員が「2017年は速報値で94回。国内の民間空港でトップ」と教えてくれた。前年より28回増え、過去10年で最多。日米の軍事的連携を強化した安全保障関連法(16年施行)の影響だろうか。

基地の中はどうなっているのか。空港を管理する国土交通省福岡空港事務所は「把握していない」。記者が14年に許可を得て敷地内に入った際は、倉庫入り口に英語で「米空軍航空機動軍団 搭乗客ターミナル」と書かれた看板があった。航空機動軍団は、世界各地の米軍支援のため輸送機や空中給油機を運用しており、倉庫内に入ったことがある関係者は「外観は古びた倉庫だが、内部は最新設備がある」と証言する。

在日米軍に基地の運用状況を問い合わせると「米軍施設は日米間での合意の下に維持されている。運用に関してはお答えできない」と事実上のゼロ回答。

米国防総省幹部は取材に「職員3人が働いており、外交官や在日米軍関係者が移動する際のターミナルとして利用している」と施設の概略を明かした。

裏手にはかつての弾薬庫が

空港の南東端にある福岡市埋蔵文化財センター月隈収蔵庫(博多区月隈1丁目)の裏手の山肌に、コンクリートの巨大な壁がある。かつての弾薬庫だ。

市の許可を得て収蔵庫の敷地に入り、施設に近づいた。巨大な防空壕(ごう)のような遺構で、頑丈そうな鉄の扉が三つ。それぞれ英語で「危険 爆薬 50フィート(約15メートル)以内禁煙」と記されていた。ブロックなどで封じられ、ツタが絡まっている。中には入れない。

土地の登記簿を確認すると、所有者は財務省。福岡財務支局の担当者は「終戦後、米軍に提供され、格納庫か弾薬庫として使われたと聞いている。かつては空港の滑走路から誘導路が延びていた」。活用計画は未定で「最近、内部に入った記録はない」という。

「有事には軍事作戦の拠点に」

現在の福岡空港は、旧日本陸軍の偵察隊基地「席田(むしろだ)飛行場」として1945年5月に完成。前月に沖縄本島に上陸した米軍の偵察が目的だったが、わずか3カ月で終戦を迎えた。

45年10月に米軍が接収し「板付飛行場」と改称。朝鮮戦争、ベトナム戦争の際には偵察や出撃の拠点となった。68年6月、米軍のファントム偵察機が九州大箱崎キャンパス(同市東区)に墜落。市民を挙げた基地撤去運動が湧き起こり、72年4月に大部分が返還されて「福岡空港」となった。

福岡市などは、残る基地部分の返還も長年求めているが、米国防総省幹部は「朝鮮半島に近く、今後も基地能力を確保する。平時は商業空港として活用すべきだが、有事には作戦拠点として機能を拡大したい」と明かす。日米共同使用区域である滑走路や駐機場なども軍事作戦に使う構想があるという。

アジアの玄関口ながら、今なお有事の“密命”を帯びる福岡空港。再び前線基地とならぬことを願う。

=2018/05/14付 西日本新聞朝刊=


②-1 九州大学大型電子計算機センターに米空軍機が墜落


この事故により日米安全保障条約に反対する学生運動が盛り上がり、さらに翌年の東大安田講堂を舞台とした東大紛争につながっていく。


②-2 九大ファントム墜落50年 機体引き下ろしは当時の「学長が指示」 半世紀の謎、解明

西日本新聞(2018.6.1、参考)


ベトナム戦争中に米軍板付基地(現福岡空港)へ向かっていた米軍のファントム機が、福岡市の九州大箱崎キャンパスに墜落してから2日で50年を迎える。事故を巡っては、建物に突き刺さった機体が約7カ月後に突然引き下ろされる“事件”が発生。これまで謎とされていた「指示者」について、九大大学院の折田悦郎教授(大学史)が「当時の水野高明学長(故人)だった」とする研究成果をまとめた。関係者の証言が得られたという。

ファントムは1968年6月2日夜、建設中の大型計算機センターに突っ込み、炎上した。事故を機に、水野学長が先頭に立って市内をデモするなど、学内外で抗議の動きが広がり、板付基地撤去を求める世論が高まった。

一方、機体を撤去してセンター建設を続けたい大学側と、反基地運動の象徴としたい学生側が激しく対立。学生は、機体周辺にバリケードを張り抵抗した。ところが翌年1月5日未明、「謎の集団」が重機を使い機体を引き下ろした。

後に集団は土木業者だと判明したが、誰の指示だったかは不明。学内に調査委員会も組織されたが、判明しなかった。水野学長の関与は当初から疑われたが、記者会見で「引き下ろしは予想外。大学のメンバーは関与していない」と発言。直後に学内混乱の責任をとって辞任し、96年に亡くなるまで関与を認めなかった。一方、当時の法学部長(故人)が関与を名乗り出たが、証拠はなかった。

関係者への聞き取りなど調査を続けていた折田教授によると、ある九大名誉教授から「水野学長の研究室関係者」が事に当たり、「当日は、作業状況の確認のためのグループも組織された」などの具体的な証言が得られたという。

折田教授は「学生が抵抗する中で、『大学の自治』を守るため、外部の介入を受けないよう自ら解決を図ったのだろう。自分の指示で動いた研究室の後輩を守るために口外できなかったのではないか」と推測している。

折田教授の研究成果は、反基地運動を担った当時の学生らでつくる市民団体「九州近現代史研究会」がまとめた記念誌「あの日 あの時 この時代」に収録されている。同研究会は2日午後2時から、箱崎キャンパス文系地区中講義室で、当時を振り返るシンポジウムを開き、記念誌も販売する。呼び掛け人の森山沾一(せんいち)・福岡県立大名誉教授は「われわれの闘いの教訓を次世代に引き継ぐ機会にしたい」と話す。

=2018/06/01付 西日本新聞朝刊=


③ 福岡空港の民営化「地場連合」が運営へ 国交省が優先交渉権者に選定 「活性化策」が決め手か

西日本新聞(2018.5.17、参考)


福岡空港民営化の事業者を選考してきた国土交通省は16日、第2次審査の結果、九州電力、西日本鉄道などの地元企業を中心に設立した「福岡エアポートホールディングス」とシンガポールの空港運営会社、三菱商事の企業連合(地場連合)を優先交渉権者に選んだと発表した。バスなどの2次交通網を生かした利便性改善策や、ターミナルビル改装などによる活性化策を評価した。

今後、地場連合と国交省が詳しい運営条件を交渉し、まとまれば8月に実施契約を締結。空港は2019年4月から民営化される。国管理空港の民営化は、仙台、高松に続き3例目で、地場連合が優先交渉権者に選定されたのは初めて。

五つの企業連合による第1次審査を通過したのは、地場連合のほか、大和ハウス工業とオーストラリアの投資銀行▽東京建物と英国の空港運営会社。同省の審査委員会が各企業連合の提案を200点満点で採点し、地場連合が最高の169・7点を得た。次点は東京建物グループの151・8点。大和ハウス工業グループは149点だった。

国交省は地場連合の提案について「利用者目線で利便性向上に向けた投資を行う点を評価した」と説明。具体的には、空港発着のバス網の充実などで観光客誘致を図るほか、国際線と国内線をつなぐ連絡バスの増便などで利便性を高める。また、ターミナルビルを改装して商業機能を強化するほか、着陸料の値下げで新規の国際線も誘致する。

空港の運営期間は原則30年で、滑走路とターミナルビルを一体経営する。国は運営権の売却収入を25年3月に予定する滑走路増設(総事業費1643億円)に充てることにしており、審査では運営権の入札額に最も高く配点した。最低入札価格は1610億円だったが、複数の関係者によると、第2次審査では全ての企業連合が4千億円台を提示してほぼ並んだという。

福岡空港(滑走路2800メートル)は1972年に運用を開始。16年度の旅客数は国内4位の約2231万人で、航空機発着回数は約17万6千回。滑走路1本の空港では最多の発着回数で、スムーズな離着陸の目安である処理容量(年16万4千回)を超過している。

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【ワードBOX】空港民営化

政府の成長戦略の一環で、国や自治体が管理する空港の運営を民間企業に委託すること。管制業務は引き続き国が担い、民間企業が滑走路とターミナルビルを一体経営する。民間のノウハウや資金を生かし、ビル運営の利益で着陸料を値下げするなどして路線や利用者を拡大するのが狙い。国管理空港では仙台、高松が民営化され、熊本でも手続きが進む。海外では、英国で1980年代から始まり、90年代に欧州各国などに広がった。

=2018/05/17付 西日本新聞朝刊=