JR東日本の小金井駅と武蔵小金井駅 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

著者はかつて中央線沿線の武蔵小金井駅または一つ西の国分寺駅を通勤に利用する研究所に就職した。だから、もう一つ武蔵が付かない小金井駅行きの電車があるのを知っていた。しかし、ついに行くことなしに退職し、下関に帰郷してしまった。

実は、栃木県の小金井は元々水田地帯であったのが、小金井駅のお陰で住宅街に変貌した、単なるベットタウンであった。これに対し、武蔵小金井駅も似たようなものであった。武蔵野台地のクヌギ林の中にベッドタウンとしての住宅街が出来ていた。

他にも共通点が見出せる。共に車両基地を持ち、ここを終点とする電車が存在し、そして、共に駅の近くに国分寺があった。小金井駅の北の国分寺地名は古代下野国に由来し、武蔵小金井駅の西の国分寺地名は古代武蔵国に由来していた。

中央線の小金井の由来について複数の説があり:  一つは小金井市の「はけ」(崖のこと)南側を金井原と呼んでいたものを「こがねいはら」と読んだというもの。もう一つは「はけ」に沿って黄金(こがね)に値する豊富な湧水があるのを「黄金の井」や「こがね井」と称したというものである。

それでは、栃木県の小金井の由来は何であろうか?こちらは水田地帯で「はけ(崖)」は無い。こちらの「小金井」という地名は、近くに小金井と呼ばれた湧水の池があり、「旱魃のときにも枯れることがなかった、池の中から黄金が出てきた」という伝承に由来する。

どちらの小金井も豊富な湧き水に関わるようだ。だから、近くに国の首都が出来て、国分寺が置かれたのであろう。

{1D346FB3-6035-47FB-AD9E-4C35FBE150A3}
赤丸: 武蔵小金井駅、左に車両基地

{495D9545-684E-48C3-8F49-D76FE06C659B}
武蔵小金井駅(赤丸)は中央線沿線の東京都小金井市

{12AA4AE9-C171-4EBA-8FEE-91AD5F502C39}
宇都宮線の小金井駅、右上に車両基地

{251E4580-0E39-40F1-9520-FFC8D87AF8B2}
栃木県下野市小金井


参考

寝過ごしたら絶望的な終点 宇都宮線小金井駅には何がある?

文春オンライン(2018.4.9、参考)

鼠入 昌史

朝、通勤や通学で乗る電車の終点はどこだろうか。やたらと“直通運転”の多い首都圏では、名前ばかり見るけれど行ったことのない、そしてできれば行きたくない“ナゾの終点”が少なくない。果たして、その“ナゾの終点”に何があるのか。その答えを読者諸兄の代わりに探るべく、これまでも“通勤電車乗り過ごしの旅”として、籠原(JR高崎線)印旛日本医大(北総線)を訪れてきた。

{FB77EB09-23E9-4326-8EC6-BDA2B91FB0A1}

北関東「乗り過ごし駅」の頂点、小金井

籠原駅は、気温が高い町としておなじみの熊谷市にあり、駅としては熊谷駅のひとつ先。予想通りと言うべきか、特に駅の周辺にもなにもなく、空き店舗が目立つ商業施設がポツリと建っているだけだった。春秋冬ならまだしも、真夏に乗り過ごして籠原に行ってしまったら、それはただの灼熱地獄である。

一方、印旛日本医大は意外と盛りだくさん。どこかの宗教施設のような塔がそびえる駅舎のナゾ、聖武天皇の皇女・松虫姫ゆかりのお寺にドラマ『コード・ブルー』のロケ地と、見どころが目白押しだった。ヤケクソまじりに朝の通勤電車を乗り過ごして印旛日本医大に行っても、そこそこ観光が楽しめそう。ただし、北総線は“日本一運賃が高い路線”としても知られるのでその点の注意は必要だ。

と、あちこち訪れてきた乗り過ごしシリーズ。今回は、北関東“乗り過ごし駅”の王者とも言うべき、JR宇都宮線(東北本線)小金井駅に行ってきた。一体、王者の町には何があるのだろうか。

{CE40637E-F21B-4EC6-87F6-EC47C035A01B}
東京駅の行き先掲示板。どれに乗っても乗り過ごしは地獄の入り口

出発したのは東京駅。上野東京ライン経由で宇都宮線に直通する「小金井行」に乗車する。そのホーム上の行き先表示板には、小金井をはじめ籠原(高崎線)、土浦(常磐線)と北関東各方面の"乗り過ごしビッグ3"の名がズラリ。どれに乗っても寝過ごしたら大変なことになるのだが、東京駅からの所要時間は籠原約1時間20分、土浦約1時間10分に対して、小金井駅は最も遠い約1時間30分。あと少し先に行けば、餃子でおなじみ宇都宮だから、小金井が乗り過ごし駅の王者とされるゆえんもわかっていただけるはずだ。

取材できないほど、人が見当たらなかった

さて、早速東京駅を出発した宇都宮線の電車。小金井までの旅の序盤は赤羽やら大宮やらおなじみの町を駆け抜ける。が、大宮駅を過ぎたあたりから車窓が変わり始める。ビルどころか住宅も徐々に少なくなってきて、見渡す限り広がる田園地帯。久喜、古河、小山とそこそこ大きな駅とその周辺だけちょっと栄えて、その他は田園という車窓が延々と続く。そして東京から1時間30分、ついに小金井駅に到着する。一緒に降りた乗客は数えるほどで、都心部を走っていたときの混雑ぶりが夢のよう……。

改札口を出て駅の周りをひとしきり歩いてみると……想像通りと言うべきか、やっぱり何もない。当然のようにビジネスホテルの類はなくて寝過ごし組を絶望させてくれるし、朝や日中にやけっぱちで小金井に来てしまった人が呆然としながらコーヒーを飲むためのカフェもない。さらにあげくに、どんな町なのか、道行く人に尋ねてみようと思っても、人の姿すらほとんど見当たらない……。

いや、もちろんいくつかのお店とか住宅らしきものとかJAとか、それくらいはあるのだが賑やかさとはとにかく無縁の駅前なのだ。東口に至ってはやたらとコインパーキングが目立ち、それがかえって寂しさを際立てる。きっと、駅から結構離れた場所に住んでいる人が鉄道を利用する際に使うのだろう。都心部に住んで都心部に通勤している人が小金井駅に降り立ってしまったら、その閑散ぶりに絶望すること間違いナシである。思えば籠原駅の商業施設にはタリーズコーヒーがあって、それが安心感をもたらしてくれた。小金井には、それすらないのだ。

興味本位で乗り過ごしてはいけない

では、一体何でそんな駅を終点とする列車が走っているのか。すでに想像がついているかもしれないが、籠原駅もそうだったように答えは車両基地である。1966年、小金井の人々は間々田駅と誘致合戦を繰り広げた末に車両基地(現小山車両センター)の開設にこぎつけた。その頃から周辺に何もなかったから、広大な用地を必要とする車両基地がつくれたのだろう。ともあれ、当時はまだギリギリSLも走っていた時代。多くの人が車両基地で働き、小金井は鉄道の町として発展したという。が、時代とともに車両基地も自動化が進んで働く人は減る一方となり、今の“ナゾの終点”小金井駅ができあがったのである。

こうした傾向は、JRの中距離列車の終点ではおなじみのパターン。東海道線でも「国府津行」という何もない駅への列車が走っている。直通運転で利便性が増したとは言え、乗り過ごしのリスクは高まっているとでも言えようか。

というわけで、今回の小金井駅も、籠原駅と同じく「何もない車両基地の町」という結論でございます。もちろん、本当に何もないわけではなくて、小金井駅から少し西に歩けば旧日光街道の宿場町だった江戸時代の面影を伝える一里塚があったり、さらに60分くらい歩けば古代下野国の中心地だったエリアにもたどり着く。車両基地の町、小金井で古代の息吹を感じる旅……なんてのはありかもしれない。とは言え、やっぱり寝過ごしはもとより興味本位でやって来たら、きっと後悔することになるだろう。どうせなら、もう少し足を伸ばして宇都宮で餃子でも食べたほうが満足できそうだ。

写真=鼠入昌史(鼠入 昌史)