水路からの眺めは良さそうに見えたが、グーグルマップで上空から見ると荒れたままに見える水路沿いの庭が目立つ。
参考
柳川の庭園消失危機救え 所有者転居や代替わりで維持困難 [福岡県]
石橋家の離れ庭を手入れする柳川水郷庭園保存機構のメンバー
柳川市中心部に点在する江戸時代の庭園の多くが、取り壊しなどで消失の危機にひんしている。掘割の水を造景などに生かしているのが特徴だが、所有者の転居や代替わりで手入れが行き届かないほか、水を引き入れたことで管理が難しくなっているのが原因だ。
40年以上前から柳川の庭園を研究する南九州大名誉教授(農学)の永松義博さん(66)=久留米市田主丸町=によると、存在が分かっている28カ所のうち、藩政期からの姿をそのまま残しているのは1カ所だけ。永松さんは昨年5月「掘割を有機的に生かした庭園群は全国的にも例がなく、守らなくてはならない」との思いから教え子らと「柳川水郷庭園保存機構」を立ち上げた。これまでに、やぶに覆われるなどしていた柳川市内の3カ所の庭園をボランティアで再生、整備した。
そのうちの一つが「石橋家の離れ庭」(同市椿原町)。対岸の屋敷から掘割を挟んで眺める珍しい構造だ。一時は取り壊しの話もあったが往事の姿を取り戻し、川下りの見どころに返り咲いた。持ち主の合原藍子さん(68)は千葉県柏市在住で年に数回帰省する。「屋敷の手入れだけで精いっぱいで、離れ庭は厄介なものだった。今は観光客に楽しんでもらえてうれしい」と笑顔で話す。
完全な姿で残るのは友清邸(同市鬼童町)。昭和の中ごろまでは引き入れた掘割の水を生活用水として使っており、庭に設けた取水場「吸水(くみず)」もそのまま。だが、掘割の水を生かすことには、蚊の大量発生やヘドロが堆積して異臭を放つなどのデメリットもある。同機構が手入れを手伝ったとはいえ、維持費が年間数十万円かかる。友清整子さん(85)は「先祖代々の庭だから私の代までは何とか頑張るが、子や孫まではどうか」と表情を曇らせる。
市内屈指の名園と称される庭があった竹原家住宅(同市新外町)は完全に消失した。江戸後期に建てられた武家屋敷で川下りコースにも近かった。市は2010年ごろから保存活用を検討したが、民間に売却され、昨年アパートが建った。
永松さんらが07~08年に実施した庭園所有者への聞き取り調査では、維持管理が難しい理由について、高齢化や水質汚濁、水量減少、湿気による不快感、取水路の土砂堆積による枯渇化などが挙げられた。
永松さんは「このままでは水郷の観光資源でもある庭園がすべて失われてしまう」と警鐘を鳴らし「手入れに補助金を出すなど、行政が中心となって保全策を探る必要がある」と訴えている。
=2018/03/13付 西日本新聞朝刊=