長門富士の青山と霊鷲山はピラミッドか!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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新幹線の新下関駅あたりから北東方向に富士山に良く似た山が見える。この山は長門富士とも言われる青山があった。中世には山城になり、現在はNTTドコモの携帯電話の基地局アンテナが見える。まるでピラミッドのようである。また、お釈迦さんにゆかりの神聖な山に霊鷲山(りょうじゅせん)が南方に見える。

これらの山々は安岡、川中、有冨、秋根、勝山地域からよく見え、目印に好適であった。

神社などを配置する際、聖なるラインを基準にするが、青山や霊鷲山は基準ノードに好適である。聖なるラインが通過するかどうか直線を引いて見ると、多くの由緒ある神社と重なった。

すなわち、青山や霊鷲山にはかつて、磐座とか社殿があるピラミッド(人工的に作られた山)であったとか、神聖な山であった。

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① 赤丸: 霊鷲山
② 黄丸: 長門富士(青山)

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北西から南東方向に見下ろす(3D)

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① 赤丸: 霊鷲山
② 黄丸: 長門富士(青山)
③ 緑丸: 甲宗八幡神社
④ 青丸: 音無稲荷神社
⑤ 黒丸: 彦島ピラミッド
⑥ 白丸: 石鎚神社
⑦ 黄四角: 生野神社
⑧ 緑四角: 永田神社
⑨ 青四角: 仲哀天皇殯殮地
10 赤四角: 毘沙ノ鼻
11 白青四角: 彦島八幡宮
12 黄白四角: 龍王神社
13 緑白四角: 住吉神社元宮跡
14 黒四角: 中山神社


参考

① 霊鷲山(りょうじゅせん、りょうじさん、wikiより)

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山口県下関市にある山。釈迦が『無量寿経』や『法華経』を説いた霊山、グリゾラ・クータ(霊鷲山)に似ているため、そう呼ばれるようになったと伝えられている。 また、明治時代より終戦まで下関要塞の重要区画として厳しい管理下にあった。現在でも山頂にコンクリート製の兵舎壕や砲台跡が残されている。

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北側の一ノ宮町から見上げる。


② 長門富士の青山

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南から真北に見る青山

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勝山から見た青山、秋根地区、関門海峡そして響灘

戦国時代の16世紀ころは山城があったが、つい最近はNTTのマイクロ波中継所があった。現在はNTTドコモの基地局アンテナが立地している。

長門・青山城(参考)

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別名: 形山城、面影山城

築城年代は定かではないが大永7年(1527年)には大内家臣高森内膳之助が在城していた。それ以前にも青山弾正なる人物が在城したと云い伝えられているが、青山氏に関しては不明である。

大永7年(1527年)高森内膳之助と北の尾根続きにある且山城主内藤興盛と争いとなった。高森氏は津原膳勝、津田興輝の加勢を得て一万二千の軍勢で且山城を取り囲んだが、大内氏の加勢を得た内藤氏によって形勢が逆転し、瞬く間に青山城は攻め落とされたと云う。この戦いは「青山くずれ」と呼ばれ、このとき戦死した兵士の墓が付近に多く見られるという。

その後は高橋某、内藤隆春(内藤興盛の子)が在城したという。

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青山城の石垣、手前は石垣用の石より大き過ぎる岩、本来は磐座か?