山口市の姫山はピラミッドか!? | 日本の歴史と日本人のルーツ

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山口市は盆地状の平野にあるが、ピラミッドのような小山が中央にポツリとある。

姫山と呼ばれるこの山は人工的なピラミッドではなかろうか!?との予感に基づいて聖なるラインの存在を調べると、この山の頂上は聖なるラインの交点になっていた。まさに、広島県庄原市にある「日本ピラミッド・葦嶽山」などと同じく人為的に定められたネットワークノード(三角点)であった。

現在の姫山は「姫山伝説、山口ブスの発祥の地」としているが、この姫山と姫山伝説は関係ないようだ。姫山伝説が成立する前から、この山の名前は姫山であり、戦国時代には姫山城があった。姫山伝説の元ネタは毛利輝元の「二の丸様誘拐事件」であるが、ここ姫山が舞台ではなかった。

姫山の地名の由来としては、国東半島の近くの姫島と同じく海人族安曇氏の女神から来ていると推測している。

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姫山と山口市街

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姫山と椹野川

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山口県山口市平井

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① 赤丸: 姫山
② 黄丸: 防長の国境の碑
③ 緑丸: 句留孫山
④ 緑四角: 神功皇后神社
⑤ 青丸: 石城山神籠石
⑥ 青四角: 東門鎮護住吉八幡宮
⑦ 黒四角: 神功皇后神社
⑧ 黄四角: 熊野の磨崖仏とストーンサークル
⑨ 東西赤線: 北緯34度14分
10 南北赤線: 東門鎮護住吉八幡宮から霧島神社まで


参考

① 姫山伝説 (参考)

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姫山伝説、山口ブス発祥の地

昭和6年刊行「趣味の山口」防長史談会編(1992年復刻版)

「山口の城下に美人がいた。この土地を支配する殿様が彼女を見染めた。殿様は館に来るよう申しつけ、御意に従うようにと命じたが、彼女は屈することを潔しとしなかった。 

彼女は或る夜いましめの縄をかけられ、密かに姫山の頂に送られた。そしてここで裸体にされて古井戸の中になげこまれ、そのうえ数多の蛇で責め殺された。 

臨終の苦悶に彼女の叫んだ、 『美貌に生れた身のつらさを二度と後の世の女性にさせない為このお山から見える限りの土地には今後永代美貌の人を生ませない』 という呪いの言葉が真実になってその後は絶えて山口付近に美人が生まれなくなった。」 (伝説の山口-伝説の姫山) 


② 《歴史的史実》 (参考)

この伝説に似た史実として、二の丸様誘拐事件がある。  

二の丸様は児玉三郎右衛門元良の娘として広島の城下に生まれた。小さい頃から評判の美人で、毛利輝元もひそかに思いを寄せていた。やがて元良の娘は野上庄の城主杉治郎左衛門尉元相の息、小次郎元宣のもとに嫁いだ。輝元は娘への思いを断ち切ることができず、杉元宣が筑前立花城へ出陣中の留守を狙って、腹心の部下佐世石見守元嘉、杉山土佐などに命じて拉致させている。これを知った元宣は九州陣から引き返すところを、途中で待ち受けていた輝元の刺客のために徳山沖の大島の船隠しで暗殺された。

二の丸様は輝元との間に三人の子をなす。長男は萩藩初代藩主秀就、長女は岩国の吉川広正室、次男が徳山藩初代藩主就隆である。関が原での敗戦後、萩に築城後も二の丸様は山口の覚皇寺に住み、慶長九年(1604)八月一日、三十二歳の生涯を終えた。遺骸は古熊の西方寺に葬られた。芳名にちなみ周慶寺と寺号を改め、現在はさらに善生寺と改めている。善生寺には大内氏の重臣内藤興盛の墓と絵像が残されている。二の丸様の墓は香山園に移された。

城山としての姫山城は内藤氏の属城といわれ、最後は宍道大炊助隆慶がこの城を守っていたが、毛利元就の進撃にあい、あえなく降伏した。『防長風土注進案』には「山頂に石垣馬つる井も存する」とあるが確認はできない。しかし、その一部で石組みがわずかに見られるところがある。

姫山城は問田川・仁保川・椹野側を外郭の防衛線として、峻険な山容を利用して構築した山城である。山頂には尾根でつながるふたつの峰があり、その山頂にはこの山城の中心をなす郭がある。地理的には防府方面から山口へ侵入する者をさえぎる役割と、秋穂浦・陶峠から侵入する者をさえぎる要地であった。〈樹下明紀〉