智光山公園、埼玉県狭山市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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著者の親族が生活する狭山市の智光山公園の中に、忘れ去られて鎮座する巨石があった。

聖なるラインが存在するか直線を引いてみた。予想以上に神階の高そうな磐座であった!本来なら、この磐座を御神体とする神宮か大社クラスの神社がここにあったはずだと考えた。

調べてみると智光山講と言う修験道の寺社がかつてあり、九頭龍権現を祀っていた。

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智光山公園内に何気なく飾ってある巨石、いかにも人工的な岩!

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矢の先端に巨石

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中央のピンク印: 智光山公園、埼玉県狭山市(川越市の南西方向)

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① 赤丸: 智光山公園内の磐座
② 青丸: 大国魂神社
③ 青四角: 鶴岡八幡宮
④ 黄丸: 筑波山神社
⑤ 黄四角: 川越周辺の古墳群
⑥ 赤四角: 高天原山
⑦ 黒四角: 諏訪大社下社春宮
⑧ 白四角: 香取神宮と息栖神社


参考

① 智光山公園(ちこうざんこうえん、wikiより)

埼玉県狭山市内にある都市公園アカマツナラクヌギなどの武蔵野の豊かな自然を活かした雑木林で形成されている。園内には動物園植物園体育館キャンプ場などの多くの施設が点在している。


② 智光山の大蛇(参考)

むかしのお話です。智光山ちこうざん公園が今のように整地されていないころのことです。

柏原かしわばらに住む人がたきぎを取りに出かけました。その日は、むし暑く今にも雨が降り出しそうなお天気でした。山(雑木林)は、大木が生い茂り、昼でも暗くうす気味わるいところです。

「今日は、もっと奥までいってみるべぇか」と、ちょっと欲を出してどんどん中へすすんでいきました。おもったとおり、たき木にになる木がいっぱい見つかり、バッサバッサとかりたおしました。

「やれやれ、いっぷくすべぇか…」と池のそばにたおれていた木に腰をおろし、たばこに火をつけたときのことでした。木がぐらぐらと動き出しました。よく見ますと、なんとそれは大きな蛇でした。びっくり仰天、たき木をほっぽり出して一目散、家まで逃げ帰り古老(お年寄り)に話しましたところ、「そりゃ、九頭龍くずりゅうさまだべぇ」ということになり、むやみに木を伐ったことをおわびにいったということです。

智光山は湿地が多く、中心になるところが池になっていまして、「九頭龍さま」がまつってあります。


③ 九頭龍(wik iより)、、、弁財天と同一神で水の神

仏教における九頭竜はヴァースキ(和修吉)である。シェーシャ英語版Śeṣa)と同一視されることもあり、須弥山を守るとされる。

仏教とともに中国に伝わった際に、ヴァースキは八大竜王の和修吉竜王となり九頭一神の龍となった。これが日本に伝わり、後に神仏習合されると、九頭竜は仏教と神道を守る神となる。八大竜王は密教の信仰であり、現世利益を強く求める密教において九頭竜は雨乞いをつかさどる神となった。日本の九頭竜が九頭竜権現と呼ばれる場合の本地仏は弁才天ないし前述の和修吉竜王である。


④ 智光山公園の由来(参考)

智光山公園にある九頭竜池(九頭龍池)とその周辺は、その昔、智光山講という修験場でした。智光山公園の名は、この修験場が「智光山」と呼ばれていたことに由来します。

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右端(参考)のひょうたん池の上の芝生


⑤ 海人族の入植地

狭山市柏原あたりに、智光山講(九頭龍権現)、水天宮、白髭神社と言う、水に関わる神様や海の民の神様を祀っている。長野の安曇野と同様に、海人族安曇氏(海の民)が古代江戸湾から古代入間川を遡って入植し、水源地を守りながら農業に従事したと考えられる。

西武新宿線の狭山駅より南東は、武蔵野台地の北端で雨水頼りの畑のみだが、入間川を越えて北西方向は、畑と水田が混在している。

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赤丸: 智光山講(九頭龍権現)、黄丸: 白髭神社、緑丸: 水天宮