先人の知恵を活用、岡山市の旭川の氾濫対策 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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国は岡山市の旭川と百間川の分流部にあり、江戸時代に建造された石積みの堰「一の荒手」の修復工事に着手した。2019年夏の完成を予定している。 

百間川は1686年、岡山藩郡代・津田永忠が旭川の氾濫を防ぐため放水路として整備したとされ、そのまま活用し、江戸期から残る外観を残しながら治水機能を回復させるとのことである。

400年に渡る実績と自然との調和を図ることを尊重することになる。

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一の荒手

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旭川と百間川の最上流部(一の荒手)

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旭川と百間川の分流部

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二の荒手

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二の荒手

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岡山市の旭川と百間川


参考

氾濫防げ「一の荒手」修復着手 岡山・旭川と百間川の分流部

山陽新聞(2017.12.23、参考)

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国土交通省岡山河川事務所は、旭川と百間川の分流部(岡山市中区中島、今在家、竹田)にあり、江戸時代に建造された石積みの堰(せき)「一の荒手」の修復工事に着手した。堰の上に堆積した土砂を取り除くほか、護岸を補強するなどして分流機能を回復し、流域の洪水発生リスクを低減する。2019年夏の完成を予定している。 

百間川は1686年、岡山藩郡代・津田永忠が旭川の氾濫を防ぐため、放水路として整備したとされる。分流部に一の荒手、その1キロ下流に二の荒手があり、旭川の水量が一定レベルを超えると一の荒手を越えて百間川にも水が流れ、旭川流域の洪水を防ぐ仕組みとなっている。 

一の荒手は全長180メートル、高さ6・1メートル(中央部)、幅15メートル。現在は上部に土砂が堆積して最高部が8・5メートルと本来より2メートルほど高くなり、旭川の水量が増えても百間川に分流しにくくなっている。修復工事では、土砂約7千立方メートルを取り除いた上で、表面に石を敷き詰める。両端の石積み護岸はいったん解体してコンクリートなどで補強。百間川の分流部川底にも護岸ブロックを敷いて強度を高める。 

二の荒手の改修は今年6月に完了。一の荒手を越えてきた土砂を食い止めるとともに、水の勢いを緩和して氾濫を抑える本来の機能を回復させた。また、同時並行で進めてきた旭川と百間川を仕切る堤防のかさ上げ・補強工事も19年3月には完成する予定で、一連の工事が完了すれば、大雨時にも適正に水が分流するようになる。 

工事は14年にスタートし、総事業費は約50億円を見込む。岡山河川事務所は「江戸期から残る外観を残しながら修復工事を進め、治水機能を回復させたい」としている。 

24日には一般向けの工事見学会があり、申し込み不要で誰でも参加できる。時間は午前10時から1時間程度。