人工の磐座である石の宝殿、兵庫県 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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石の宝殿は、岩山を削り出して作った四角の人工巨石の磐座であり、生石神社(おおしこじんじゃ)の御神体である。この明らかに人工の磐座は何のために作られたのか明らかで無く、デタラメな説が伝えられていた。

実は、巨石群の磐座を有する神社などと同じく、聖なるラインのネットワークのノードと言うか、ある種の測地網の三角点としての機能を持つと考えられる。

他の磐座を構成する巨石群は自然に出来たように見え、人工物とするには困難を伴う。しかし、この石の宝殿は形状からも明らかに人工物であり、材質的にも加工が容易な凝灰岩である竜山石であった。

この例が示唆するように、自然物と見える巨石群の磐座や葦嶽山ピラミッド(著者の住む下関市では彦島ピラミッドや一の俣ピラミッド)なども人工的に作られたと考えられる。

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生石(おおしこ)神社の拝殿と石の宝殿の上部

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石の宝殿

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石の宝殿の裏側、背中の出っ張りは真西に向いており、葦嶽山ピラミッドに向いている。逆方向の東には平城京や恭仁京があるが、ここの竜山石が使われている。

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石の宝殿の裏側の脚部

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生石神社拝殿と石の宝殿を背後から見る

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① 赤丸: 石の宝殿
② 黄丸: 三徳山三仏寺投入堂
③ 緑丸: 出雲大社
④ 青丸: 葦嶽山ピラミッド
⑤ 黒丸: 大山祇神社
⑥ 白丸: 比叡山
⑦ 黒四角: 恭仁京の大極殿
⑧ 赤四角: 伊勢神宮内宮境外摂社の瀧原宮
⑨ 黄四角: 高野山
10 東西赤線: 北緯34度14分


参考

① 石の宝殿(wik iより)

兵庫県高砂市・宝殿山山腹の生石神社(おおしこじんじゃ)に神体として祭られている巨石。鎮の石室(しずのいわや)、天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも。

この生石神社の石の宝殿と、宮城県鹽竈神社塩竈鹿児島県霧島神宮天逆鉾を総称して、「日本三奇」と呼ぶ。

幅6.4m、高さ5.7m、奥行き7.2m。重さは推定500トンを越える。竜山石として知られる凝灰岩の岩山の中腹を削って作られており、三方を加工前の岩盤に囲まれている。

生石神社の社伝に、「大穴牟遅神少毘古那神の二神による伝説が伝えられている。二神が出雲国から播磨国に来た際、石造の宮殿を建てようとして一夜のうちに現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて反乱を鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。しかし二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った」というものであるが、さらに、複数の説がある。


② 竜山石(wik iより)

古墳時代から現代に至るまで、市内で産出されている石材・竜山石(たつやまいし)を採石した形跡がみられる、総面積67万平方メートル、162か所におよぶ遺構である。

竜山石は、加工に適した強度と粘りを有する凝灰岩である。採石場の近くを流れる法華山谷川(洗川)からの舟運で西日本各地に運ばれ、時代を問わず建築物や石仏等に利用された。古墳時代中後期の長持形石棺家形石棺奈良時代平城宮および恭仁宮礎石、近代の旧造幣寮貨幣鋳造所住友ビルディング名古屋市公会堂の外壁が知られる。

文化財修復用の石材としても利用される。姫路城石垣、鳥取藩主池田家墓所の玉垣山本能楽堂などが知られる

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竜山石の採石場

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兵庫県高砂市阿弥陀町生石の生石神社と石の宝殿(東から西方向に見下ろす、3D)、周辺は竜山石の岩山と採石場