下関市の鉄筋コンクリート製の寺社の由来下関市役所の近くに国分寺があるが鉄筋コンクリート製となっている。稲荷町の末廣稲荷神社も階段の上に小さなコンクリート製の社殿がある。引接寺は山門を残し、本堂はコンクリート製となっている。亀山八幡宮も同様にコンクリート製の社殿が新築された。太平洋戦争の末期、下関市の市街地は米軍の空襲で焼失してしまい、現在のほとんどの神社仏閣は鉄筋コンクリート製で、規模も縮小している。① 国分寺戦前の国分寺の旧本堂現在の国分寺の本堂下関市役所と国分寺② 末廣稲荷神社戦前の末廣稲荷神社の鳥居と拝殿現在の末廣稲荷神社の鳥居と拝殿、背後は唐戸セントラルホテル赤間町から稲荷町あたり、末廣稲荷神社の境内は背後の唐戸セントラルホテルの敷地にも及んでいた。③ 引接寺戦前の引接寺現在の引接寺山門は焼け残った山門の龍の彫り物引接寺は亀山八幡宮の北北東に位置する④ 亀山八幡宮戦前の亀山八幡宮現在の亀山八幡宮亀山八幡宮は引接寺の南にあり、参道の階段下の料亭も無い