二つの影山、下関市安岡 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市の安岡地区には二ヶ所の影山があった。

著者は西側の影山をずっと眺めている。山の陰で夜明けが遅く、小学生時代、学校の運動会で親と一緒に弁当を食べるための場所取りに、早朝の暗闇に自転車を走らせたことを思い出した。多分、もう一つの東側の影山も同じ理由で名付けられたのであろう。

江戸時代までの歴史を調べると、安岡村、横野村そして蒲生野村では、東側が影山(又は日影山)、西側は御立山とか新立山、大谷山と呼んでいたらしい。三つの村から見れば東側の山が影山にふさわしかったのである。

これに対し福江村では、この西側の山を昔から影山と呼んでいる。調べてみると、この西側の影山に国土地理院の三等三角点があった。下関山岳会もここを影山と呼んでいる。

まちづくり協議会では名称を統一したいらしいが、同じ名称の山が並んで二つもあるなんて面白い。

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安岡地区の山(3D、左方向が北)、赤丸: 影山、緑丸: 影山、左上に深坂の溜池、中央右に済生会下関総合病院


参考

カタローテ安岡、裏面、第14号、まちづくり協議会だより、平成29年10月、TEL083-250-8110

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済生会下関総合病院から北に見える影山


東に見える、もう一つの影山(日影山とも)