シダンゴ山、神奈川県 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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神奈川県にシダンゴ山がある。この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている仙人を「シダゴン」と呼んだことからこの地名が起こり、「シダゴン」が転じて「シダンゴ」(震旦郷)と呼ばれるようになったと、説明がある。しかし、真剣に考えると、何故、仙人の名前がシダゴンなのかが説明されていない。

近くの秦野市には徐福伝説があり、秦野市は秦氏の渡来地であるとか!古の秦の国は震旦国と呼ばれており、シダンゴ山の名称は「震旦郷(シンタンゴウ)」から訛って付けられたものと伝えられたとの説明の方が納得がいく。

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ジタンゴ山

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山頂からの秦野市の眺め

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飛鳥時代に、仏教を寄(やどりき)の地に伝える仙人がいて、この山の上に居住し仏教を宣揚したといわれている。この仙人を「シダゴン」と呼んだことからこの地名が起こり、「シダゴン」が転じて「シダンゴ」(震旦郷)と呼ばれるようになった(wikiより)。

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赤丸: シダンゴ山、オレンジ丸: 秦野、緑丸: 大秦

シダンゴ山(震旦郷山、しだんごやま)は、丹沢山地の南部に位置する標高758mの山である。神奈川県松田町内にあり、丹沢大山国定公園に属する。


参考

徐福フォーラムin神奈川2012投稿論文I-1(参考)
投稿者:maeda
投稿日:2013年 3月 6日(水)11時41分37秒
各地の徐福伝承
神奈川の徐福伝承

神奈川徐福研究会

1.はじめに

神奈川県には徐福伝承がいくつかある。これらの徐福伝承がなぜこの地に存在するのか、関係する事象を取り上げ、どこまで遡れるのかを調査し、その意義を考察してみたい。

2.神奈川県に存在した徐福伝承

神奈川県藤沢市の妙善寺にある福岡家の墓碑には、同祖先が秦氏を称し、徐福の子孫であることを明記されている。そこで神奈川県に存在する徐福に関連する書物、伝承、記録を探り求めたところ、以下のような諸事実が存在したことが判明した。

1)藤沢市妙善寺の福岡家の墓碑には、徐福の子孫であることが明記され、祖先は秦野から来たとされている。
2)富士山麓に土着した徐福一行の子孫が、延暦19年(800)に富士山の大噴火が起こり、大きな被害を受け、やむなく秦野に移住したとの伝えがある。そのために宝来山や宝来下という地名が伝えられたのだという。
3)秦野市横野にある唐子神社の御祭神(からこ神)は、富士山から丹沢山系を越えてきた、徐福の子孫であることを伝承していた。
4)藤野町・栗原家には、徐福持参と伝える木像(昭和39年焼失)と鉄鍬が存在していた。
5)相模一宮・寒川神社の存在。寒川の名称は、富士古文献によると富士山麓を流れていた古川の名称であった。寒川町・寒川神社に徐福文献とも称される「宮下文書」が存在し、徐福伝承を伝える宮下宮司らは、延暦年間に起きた、富士山の爆発を逃れて、相模川下流に移動したと記す。
6)秦野市蓑毛の大日堂を管理する宝蓮寺の縁起書には、大日堂の五大尊が、徐福に関係するものであることを伝えていた。
7)鎌倉市の円覚寺は、徐福に関する漢詩を新宮に残した禅僧・無学祖元の開山寺であった。つまり、徐福情報は、仏教を通じて神奈川に浸透していた可能性がある。
8)三浦半島に、丸石が多数発見された。これが、徐福船団が使用した、船の安定化バラストではないかと考えられている。八丈島周辺にも同様の丸石が発見されており、徐福伝説があることから、日本の太平洋岸にたどり着いた一行が難破して各地の海岸に上陸したことが考えられる。(参考情報1)
9)丹沢山系の麓、秦野市の寄木地区に、シダンゴ山という小山(700m級)がある。
シダンゴ山の名称は「震旦郷(シンタンゴウ)」から、訛って付けられたものと伝えられている。富士古文献に「支那震丹国皇代暦記」という文献があり、震丹とは、古代中国の名称であったという。つまり、秦野市の山奥には、古代中国から渡来した人々が住みついていたことを、暗示する山名である。(参考情報2)