律令制時代の国境で星空を見て定めたところがあった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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山口市(旧周防国)から萩市(旧長門国)を結ぶ街道に萩往還がある。その途中に長門国と周防国の国境があり、ここに国境を示す江戸時代の石碑が設置されている。

これだけなら当然のことで何も不思議では無い。しかし、じっくりグーグルマップを眺めていると、なんと北緯34度14分に一致していた。すなわち、沖ノ島と宮島を結ぶ直線に重なっていた。

国境は山頂とか尾根、谷、川、湖、海などの地理的な特徴で定められると常識的には考えられる。古代の道も自然地形の谷間などに従って作られ、自由自在に思いつきで作られるものではない。従って、件の国境の碑に関しては、星空を見て国境線を定めると言う意図を感じる。

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赤丸内の黄印: 国境の碑、赤線: 北緯34度14分
 {A914B9E9-FDA6-42DD-A8C9-D8D99364D9B7}長門国と周防国の国境(参考)


参考

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山口市から萩市に北上する現萩往還(県道62号)と国境の碑(黄印)

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現萩往還(県道62号)と国境の碑(黄印)、右手に旧萩往還に入るための駐車場が見える。

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旧萩往還入口

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旧萩往還

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国境の碑、北: 長門国阿武郡、南: 周防国吉敷郡