旧安川邸、北九州市戸畑区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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九州工業大学の前身、明治専門学校の創立者、松本健次郎と安川敬一郎の兄弟の邸宅を完全な形で残して欲しい。

松本健次郎の邸宅は文化財として保存されているが、安川敬一郎の邸宅は一時、洋館部分が取り壊される危機が迫っていた。

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旧安川邸を東から西へ

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南が旧松本邸、北が旧安川邸

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旧安川邸、旧松本邸、九州工業大学


参考

① 北九州市:安川邸洋館解体を凍結 保存求める声相次ぎ

毎日新聞(2017.8.19、参考)

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学識者の反発を受け、解体の方針が凍結された旧安川邸の洋館=北九州市の説明資料より

安川電機を創立した安川敬一郎(1849~1934年)の旧邸宅(戸畑区)を観光施設に改修する計画で、北九州市は18日、専門家の意見を募る「旧安川邸整備・活用に関する懇話会」(座長・川崎雅史京都大教授)の第3回会合で、今秋に予定していた洋館の解体をいったん凍結する方針を示した。市は「老朽化もあり、利活用が難しい」としていたが、懇話会で文化財として保存を求める意見が相次いだため、利活用方法を再検討する。【比嘉洋】

旧安川邸は、国指定重要文化財の旧松本家住宅(現・西日本工業倶楽部)に隣接する1万3500平方メートルの敷地に、明治から昭和にかけて玄関棟、和館、洋館、蔵などが建てられ、5500平方メートルの日本庭園も備える。当初の計画案では、和館の大座敷(25畳)を飲食・喫茶スペースとして改修する一方、隣接する木造2階建ての洋館(床面積368平方メートル)は取り壊して、藤棚を観賞する広場などにする予定だった。

しかし、これまで2回あった懇話会の会合で、洋館は、日清・日露戦争後の自国文化の見直しの機運を受け、正面は洋風でも背面は和風になっているなど和と洋の両文化に目配りした跡が見られ、文化的・歴史的価値が高いとの意見が出た。

市は今後、洋館の文化財調査を進めながら、旧安川邸の施設の管理・運営を検討する民間事業者向けに洋館の利活用方法などを尋ねる市場調査を実施し、来年度以降に改めて解体の是非を判断する。市は施設の改修後、2019年秋の一般公開を目指す。


② 旧安川邸洋館保存の声強く 専門家懇話会市は解体方針崩さず

西日本新聞(2017.6.27、参考)

北九州市が観光施設として整備する「旧安川邸」(戸畑区)の活用策について専門家の意見を聞く「懇話会」(8人)の第2回会合が26日、小倉北区であった。市は洋館を解体し、和館と日本庭園を再整備する考えをあらためて示したが、委員からは3月の初会合に続き「学術的価値が高い」として洋館保存を求める声が続出。市側は「維持費がかかる」として解体方針を崩さず、議論は平行線をたどった。

旧安川邸は安川電機の創業発起人・安川敬一郎(1849~1934)の邸宅。1912年に大座敷を若松区の旧宅から移築し、26年に洋館、37年に和館を整備した。

会合では、日本建築史に詳しい木島孝之九州大助教が「大正末から昭和初期のモダンスタイルの住宅は珍しく、国の重要文化財級の価値がある」と強調。市は洋館の文化財調査をしておらず、半数以上の委員から調査や解体方針の再検討を求める指摘があった。

これに対し、市は「初期投資や維持費、収益性などさまざまな観点から検討し解体を決めた」と説明。8月に予定する次回会合で、今回の意見も踏まえ具体的な整備方針を盛り込んだ基本計画案を示すとした。

旧安川邸は安川電機が建物を市に無償譲渡し、市は約6億円かけ整備。2019年秋の公開を目指す。


③ 北九州市が「旧安川邸」洋館解体を凍結、活用案を再度募集へ

萩原 詩子=ライター/日経BP(2017.8.30、参考)

北九州市は、安川電機創業家の旧宅「旧安川邸」の整備・活用にあたり、当初予定していた洋館の解体をいったん凍結し、改めてマーケットサウンディングを実施する方針を決めた。

「旧安川邸」は国の重要文化財「旧松本家住宅」に隣接し、約1万3500m2の敷地に、和館、洋館、蔵などの歴史的建築群と日本庭園を擁する。所有する安川電機と北九州市は、共同で利活用策を検討してきた。市では、飲食などの事業運営と維持管理を民間事業者に委託するため、今年5月にマーケットサウンディングを実施。その際に示した利活用範囲では、維持費がかかるとして、洋館(1926年建築)の撤去を前提としていた(関連記事)。

しかし、3月16日から3回実施された、学識者と市民代表による「旧安川邸整備・活用に関する懇話会」で、洋館の保存要望が続出。「モルタル吹き付けと石膏ボードは、日本最古の可能性が高い」「重要文化財になる可能性もある」などの意見が上がった。

このため、市では今秋に予定していた洋館の解体をいったん凍結。前回のマーケットサウンディング参加事業者に改めて洋館の活用策を打診するほか、新しく「洋館単独」「和館単独」「和・洋館両方」の3パターンでのマーケットサウンディングを行うこととした。調査実施は秋頃になる予定だ。

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北九州市がマーケットサウンディング(2017年5月実施)の参加者を公募したときの資料より。この時点では洋館は解体する方針だった。


④ 旧安川邸“お宅拝見” 和館、辛亥革命の孫文宿泊 洋館、大正時代末の最先端 [福岡県]

西日本新聞(2018.5.8、参考)


和館にある大座敷(昨年7月撮影)。現在の若松区にあった邸宅を移設したとされる

食堂にある作り付けの食器棚について説明する九州大大学院の木島孝之助教

安川敬一郎の名前が記された洋館の棟札。洋館は多くの史料が残っていることが文化的な価値を高めているという

洋館の階段踊り場にある作り付けの椅子で、珍しいという

北九州市は保存・整備を予定する安川電機の創業発起人、安川敬一郎(1849~1934)の邸宅「旧安川邸」(戸畑区一枝)の内部を、報道関係者に公開した。市は2019年度末までに和館、洋館、日本庭園を一般公開する(洋館は外観のみ)。市は中国で辛亥革命を主導した孫文も宿泊した「ゆかりの地」として、国内外の観光客にアピールする考えだ。

敬一郎は官営八幡製鉄所の誘致に尽力した実業家。旧安川邸は1912年に大座敷などを若松区の旧宅から移築し、26年に洋館、37年に和館を建築した。

市は安川電機からの無償譲渡などを受け、和館と日本庭園を保存・整備し、洋館は当初、解体する予定だった。市民や有識者が保存を求める声が高まり、市の文化財調査でも「建築史的価値は極めて高い」との結果が出たため方針を転換した。

調査に当たった九州大大学院の木島孝之助教(日本建築史)によると、洋館は大正末期から昭和初期の最先端の洋風建築で、保存状態も良好という。

=2018/05/08付 西日本新聞朝刊=