西洋文明を取り入れるために作られた和製漢語は秦の始皇帝のおかげであった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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始皇帝の名前の由来は、中国大陸の春秋戦国時代の諸国を統一した秦の始皇帝によって「皇帝」という称号が始めて使われたことによる。伝説の「三皇五帝」にあやかったもので、世界で唯一の皇帝が、各地に王を封ずるという形になり、「王」は「皇帝」よりも一段低い位とされている。すなわち、この皇帝と言う二文字の漢語は漢文の造語規則(同義語の複合)によって作られたと考えられる。

漢民族の使う漢語は元々、一つの言葉(発音・意味)に一字を割り当てており、例えば、国名では漢、魏、呉、蜀、隋、唐、宋、元、明、清など中国の歴代帝国の名前がある。ただし、秦と言う国名は漢民族が呼ぶ場合で、史記など漢代以降の文献に書かれているもので、秦民族は自らを支那(シナ)と呼んだようだ。日本民族の使う漢語は基本的に二漢字を割り当てている。名前、地名など典型であり、無理やり二文字にした例では大和(和、日本、ヤマト)、和泉(泉、イズミ)、春日(カスガ)、長谷(ハセ)、飛鳥(明日香、アスカ)、そして武蔵(無邪志、胸刺、牟射志、ムサシ)などがある。

秦の始皇帝が彼の帝国の諸民族相互に意思疎通出来るように漢文を定めた時に文法と漢語の造語規則を定めたが、この造語規則で作った漢語が二文字の漢語である。比較的少ない数の既知の漢字から新しい概念の言葉を作り出すことが可能であった。これにより、言語の異なる少数民族同士が共通の漢文でコミュニケーションが可能になった

この造語規則が、明治維新後の日本が西洋文明を理解するために和製漢語を作る際にも威力を発揮したのであり、中国大陸本土の漢民族にも容易に移転できた。さらに朝鮮半島にも和製漢語の音読みがハングルで移転されている(漢字ハングル混じり文も1980年代まであった)。

秦の始皇帝が定めた漢文が古典として存在しているのみでなく、現代日本語のみならず現代中国語や朝鮮語にまで影響を与えているのであった。


参考

① 「中華」「人民」「共和国」:和製漢語はどれでしょう?・・・事実を知って驚愕する中国ネット民「恐れ入った」の声も=中国版ツイッター

Searchina(2015.3.3、参考)

中国・北京にある、日本にかんする情報を発信するメディア「知日」が2月27日、明治以降に日本で作られた「和製漢語」について紹介するツイートを掲載した。

ツイートは、日本人が外来語を翻訳する際に「漢字語の簡潔さや高い造語能力に目をつけ、漢字を組み合わせて簡単かつ分かりやすい「和製漢語を作り出し、現在も利用している」と紹介。そして「中華人民共和国」の7文字中3分の2以上が実は日本語から来た「和製漢語」であるとした。「人民」と「共和国」が「和製漢語」にあたるとのこと。

ツイートに添付された画像では、日本人が広めた漢語の例や、「科学」、「規定」、「経験」など中国でも使われている「和製漢語」の数々が紹介されている。

このツイートに対して、微博のネットユーザーからは「恐れ入った」、「これ面白いね」、「現代中国語の言葉の多くは日本語からやってきたものだ」、「経済って言葉もそうだね」、「法律用語には“和製漢語”が多いね」、「日本製品をボイコットしてる人はどう思うかね」といったコメントが寄せられた。また、ここ20-30年に大陸へ入ってきた「和製漢語」の勢いを「軽視できない」とし、中国国内の現代漢語の語源にかんする研究に力を入れるべきだとの意見もあった。

なかには「でも、日本人は共産党、階級、主義、組織、幹部などといった『害毒』まで翻訳して広めちゃったからな」というエッジの利いたコメントを残すユーザーもいた。

日本のモノをボイコットしようとすればするほど、かえって日本と中国との関わりの深さを知る結果になってしまうのは実に興味深い。これまではどちらかと言えば、日本で生まれた漢字語を取り入れることの多かった中国。今後、中国で生まれた言葉が日本、さらには世界に数多く輸出される時代がやってくるだろうか。(編集担当:近間由保)(イメージ写真提供:123RF)


② 王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】(参考)

現代中国語の中の日本語「外来語」は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文・科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。これらはみな、日本人が西洋の相応する語句を翻訳したもので、中国に伝来後、中国語の中にしっかりと根を下ろしたのである。わたしたちは毎日、東洋のやり方で西洋の概念を論じ、考え、話しているのだが、その大部分が日本人によってもたらされたものである。このことを思うと、わたしは頭がかゆくなってしまう。

実際上、日本語「外来語」を離れてしまえば、わたしたちは今日ほとんど話をすることができない。わたしがこの日本語「外来語」を論じる文章を書くとき、大量に日本語「外来語」を使わなければ、根本的に文章が成立しないのである。この問題はここ数年、何度か複数の人々によっていろいろな角度から説かれてきた。


③ 日本人はどうやって和製漢語を作ったか(参考)

その時代の日本人は、中国の漢語とか漢文については非常に精通していたようである。

陳生保教授の論文「中国語の中の日本語」の論文から引用:

日本語が中国語のなかになだれこむ背景には、 中国が西洋の新語を積極的に輸入する事情があるほかに、 当時日本における新語のつくり方にも原因がある。 当時の日本では、 西洋の新語を訳すとき、 少数の音訳をのぞいて大部分は意訳をしていた。 しかも音訳であろうと、 意訳であろうと、 みな漢字を使っていた。 特に意訳の場合は、 ちゃんと中国語の造語法のルールを守ってつくられた。 具体的には次の通りである

一、 修飾語+被修飾語
(1)形容詞+名詞
例=人権 金庫 特権 哲学 表像 美学 背景 化石 戦線 環境 芸術 医学 入場券 下水道

(2)副詞+動詞
例=互恵 独占 交流 高圧 特許 否定 肯定    表決、歓送 仲裁 妄想 見習 假釈 假死

二、 同義語の複合
例=解放 供給 説明 方法 共同 主義 階級 公開 共和 希望 法律 活動 命令 知識 総合 説教 教授

三、 動詞+客語
例=断交 脱党 動員 失踪 投票 休戦 作戦 投資 投機 抗議 規範 動議 処刑

要するに、 日本人は西洋のことばを日本語に訳すとき、 漢字を使って中国語の造語法の法則にしたがって訳語を苦心惨憺してつくったと言える。 特に第三の 「動詞+客語」 の造語法は日本語にはもともとないばかりか、 日本語の文法とは正反対である。 こうしてできた日本の訳語が大量中国語のなかに入っても、 中国人はちょっと見知らぬことばだなと思うことがあったかもしれないが、 あまり違和感を持たなかったにちがいない。


④ 中国語になった日本語(参考)

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下の言葉は西洋の語彙を日本で漢語にして作った言葉である。

亜鉛、暗示、意訳、演出、大熊座、温度、概算、概念、概略、会談、会話、回収、改訂、解放、科学、化学、化膿、拡散、歌劇、仮定、活躍、関係、幹線、幹部、観点、間接、寒帯、議員、議院、議会、企業、喜劇、基準、基地、擬人法、帰納、義務、客観、教育学、教科書、教養、協会、協定、共産主義、共鳴、強制、業務、金婚式、金牌、金融、銀行、銀婚式、銀幕、緊張、空間、組合、軍国主義、警察、景気、契機、経験、経済学、経済恐慌、軽工業、形而上学、芸術、系統、劇場、化粧品、下水道、決算、権威、原子、原則、原理、現役、現金、現実、元素、建築、公民、講演、講座、講師、効果、広告、工業、高潮、高利貸、光線、光年、酵素、肯定、小熊座、国際、国税、国教、固体、固定、最恵国、債権、債務、採光、雑誌、紫外線、時間、時候、刺激、施工、施行、市場、市長、自治領、指数、指導、事務員、実感、実業、失恋、質量、資本家、資料、社会学、社会主義、宗教、集団、重工業、終点、主観、手工業、出発点、出版、出版物、将軍、消費、乗客、商業、証券、情報、常識、上水道、承認、所得税、所有権、進化、進化論、進度、人権、神経衰弱、信号、信託、新聞記者、心理学、図案、水素、成分、制限、清算、政策、政党、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、総理、総領事、速度、体育、体操、退役、退化、大気、代議士、代表、対象、単位、単元、探検、蛋白質、窒素、抽象、直径、直接、通貨収縮、通貨膨張、定義、哲学、電子、電車、電池、電波、電報、電流、電話、伝染病、展覧会、動員、動産、投資、独裁、図書館、特権、内閣、内容、任命、熱帯、年度、能率、背景、覇権、派遣、反響、反射、反応、悲劇、美術、否定、否認、必要、批評、評価、標語、不動産、舞台、物質、物理学、平面、方案、方式、方程式、放射、法人、母校、本質、漫画、蜜月、密度、無産階級、目的、目標、唯心論、唯物論、輸出、要素、理想、理念、立憲、流行病、了解、領海、領空、領土、倫理学、類型、冷戦、労働組合、労働者、論壇、論理学 など



⑤ 和製漢語リスト(参考)


⑥ 713年、律令制度に基づいて地名の二文字化が実施された。これが「好字二字化令」と呼ばれるものである(参考)。

これは唐(漢民族では無く、北方遊牧民族・鮮卑が支配した国)の制度に倣ったものと言われているが、秦の始皇帝による度量衡の統一、漢文によるコミュニケーション言語の統一などの政策を引き継いだとも考えられる。


⑦ 漢文は秦の始皇帝が作った東アジアのエスペラント語であった