神の杉の森の上空からの広がり形状を見て欲しい。夏至の太陽の日没方向を直線で示している。
この森は北緯は34度14分に位置しているから、沖ノ島・神津島と同じ星空を観測出来ることは既に指摘した(参考)が、夏至の太陽の日没方向を観測する機能もあった。
北緯34度14分と地中海
雑談1:
太陽と星空を利用した航海術は、どおも日本列島周辺から東アジア周辺で活躍した海人族(海の民)が開発したようだ。実は太陽観測はマヤやインカより早く、縄文時代中期(紀元前40世紀)から日本に既にあった(参考)。そして、海人族(海の民)は南米に上陸していた(参考)。このノウハウが紀元前15世紀頃からフェニキア人に伝わり(参考)、そして紀元前10世紀頃のポリネシア人の太平洋制覇(北米のロサンゼルス付近の北緯34度14分に到達)につながったと考えらる。
雑談2:
地中海に北緯34度14分の赤線を引いてみると、地中海の西部にある植民都市に直行出来ることが分かる。すなわち、アフリカ沿岸部を撫ぜるように航海せずに、星空を頼りに直行していたと考えられる。
(参考)
雑談3:
ところで、日本人(山の民と海の民)、ポリネシア人、フェニキア人は世界人類史的に古い時期に分化した近縁種のようだ、出アフリカのころY-DNA C系統とD/E系統が分化するが、前者が日本の海の民(海人族)とポリネシア人であり(参考)、後者がさらに分化したDが日本の山の民(縄文人や秦氏)、Eがフェニキア人となった。
参考
フェニキア人のY染色体DNAハプログループはE1b1b1a3、一般のユダヤ人はJ2aが多いがフェニキア人との交配でE系統も多い。日本にはJ系統もE系統も見当たらないが、日本に多いD系統(縄文人)はE系統と同系で、分派してDとEに分かれた。
日本人のmtDNA(ミトコンドリアDNA)の約67%はアジア系と言われる「M」系列、約33%は西欧系と言われるmtDNA「N」系列です。ミトコンドリアDNAは母親から引き継ぎます。
人類の出アフリカにより、アジア系と言われるmtDNA「M」(母親由来)は、縄文系のY-DNA(父親由来)の「D」と「C」と共に、紅海、アラビア海からインド洋沿岸部を航海して日本列島にやってきた。
mtDNA「M」系列の中で最も古い「M」が日本列島で見つかっているので、出アフリカ後のmtDNA「L3」が中東でネアンデルタール人と交配して分化した「M」と「N」の最も古い亜型がそのまま日本列島に移動してきたことになる。
② 縄文時代(wikiより)
約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀)、日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。
縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。
注: この時期の中にポリネシア人やフェニキア人の活躍が包含される。
③ フェニキア人(wikiより)
フェニキア人は、エジプトやバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍。また、その交易活動にともなってアルファベットなどの古代オリエントで生まれた優れた文明を地中海世界全域に伝えた。
④ ポリネシア人(wikiより)
ポリネシア人の祖先はオーストロネシア語を話すモンゴロイド系の民族で、元々は華南大和川台湾にいたのだが、その一部は紀元前2500年頃に南下を開始し、フィリピンを経て紀元前2000年頃にインドネシアのスラウェシ島に到達する。ここからニューギニア島沿岸、メラネシアへと東進する間にパプア先住民やメラネシア先住民と混血し、ポリネシア人の始祖となる。この先住民は5万年前に出アフリカ後にインド経てやってきたオーストラロイドに属す人々で、アボリジニと同祖である。従ってポリネシア人はモンゴロイドにオーストラロイドが混ざった人種である。
⑤ 日本列島の海人族とポリネシア人(Y-DNA Cについて、wikiより)
ハプログループC1a1(M8)は日本列島固有であるため、日本列島で誕生したことは確実と思われるが、その祖型の移動ルートは謎に包まれている。最も近縁なC1a2(V20)はヨーロッパにわずかに見られ、旧石器時代のスペインおよび新石器時代のハンガリー、そして少数の現代ヨーロッパ人とネパール人から検出されている。もう少し遡ると、インドやアラピアなどに散見されるC1b1(M356)、インドネシア東部からメラネシアおよびポリネシア、オーストラリアの先住民アボリジニに多く見られるC1b2(B447)との共通祖先C1にたどり着く。崎谷満はC1a1の祖型はイラン付近からアルタイ山脈付近を経由し朝鮮半島経由で日本に到達したとしている。その渡来年代は約4万年前とする説と約1万年前とする説があるが、前者であれば日本列島最古層、後者であれば日本に縄文文化をもたらした集団かもしれない。
ポリネシア人が計器類を使わずに何千キロも無事に航海できたのはなぜでしょうか。ポリネシア航海協会のデニス・カワハラダによれば,おもな道しるべは,太陽でした。日の出や日の入りの決まった位置は,日中に方角を示すものとなります。夜の航海では,星が出たり沈んだりする位置を利用してカヌーの進路を導くことができます。
カヌーの進む方角に出たり沈んだりする星が全くなくても,天空の他の星を使って方角を確認できます。航海士は星以外にも,月や肉眼で見える五つの惑星を助けにして正しいコースを進めます。
真昼や,曇っていて星が見えない夜でも,航海士は,風や海のうねりを(日の出や日の入りの位置との関係で)利用してカヌーを導くことができます。カワハラダによると,「うねりとは,波を生じさせた恒風や暴風を越えて伝わってゆく波,またはその暴風が静まった後も残る波」です。
そのため,うねりは,方角を確かめる面で,その場で吹く変わりやすい風で起きる波よりも信頼できます。うねりはまっすぐに移動してくるので,航海士はカヌーを目ざす方角に向けておくことができます。大海原のうねりに乗っているか逆らっているかによって,航海士は船が正しい方角に向いているかどうかを知るのです。
証拠が示すところからすれば,古代ポリネシア人は,天体や自然界の力を利用し,はっきりした方向性をもってカヌーを何千キロも操ることができました。とはいえ,それら航海士がいかに創意に富んでいたとしても,星が出たり沈んだりする位置など,航海に利用した目印が一定のパターンにのっとっていなければ,どの方法も役に立たなかったでしょう。