母を連れて東京の東久留米市から草津温泉に日帰り入浴によく行っていた。
ただし、客の多い湯畑あたりは避けて、草津国際スキー場の近くのベルツの温泉センターを利用した。たまに、近くの西の河原の広々とした露天風呂も利用したものだ。
ところで、草津温泉の入口に群馬大津と言う地名があるが、滋賀県の草津と大津と繋がりがありそうで、古代に百済人が近江に入植したが、ここ草津温泉あたりにも入植したのでは?!と推定している。
また、近くにハンセン氏病の療養病院がある。
【群馬】花開く湯治文化 国名勝に草津温泉の湯畑
国の名勝に指定される草津温泉の湯畑(草津町教育委員会提供)
国の文化審議会が16日に草津温泉街の源泉地「湯畑(ゆばたけ)」を名勝に指定するように文部科学相へ答申したことに、草津町は「観光パンフレットなどに名勝の指定を加え、草津のシンボルをあらためてアピールしたい」と歓迎している。 (菅原洋)
審議会は「草津温泉は文人墨客らの旅情を誘い、湯もみなど独特の湯治文化を形成した。特に、湯畑の風致景観は他に例がなく、その観賞上の価値は高い」と評価した。
県と町の教育委員会によると、指定されるのは、温泉街の中心に県と町が所有する千百十二平方メートル。草津白根火山が由来の源泉が毎分約四千リットルが湧き出し、七本の湯樋(ゆどい)から流れ落ちる。
湯樋には、約五三度の源泉を冷ましながら旅館や共同浴場など八十カ所以上へ流す役割がある。さらに、強酸性である源泉の沈殿物「湯の花」を採取する役割もあり、この「湯の花」が湯畑の名称の由来という。木製の湯樋は明治二十年代に初めて設けられ、数十年ごとに付け替えてきた。
草津温泉は文献上、十五世紀後半から知られるが、湯畑は江戸時代の絵図から確認できる。湯畑の湧出部分一帯には、木枠で四角に囲んだ町指定重要文化財「御汲(くみ)上げの湯枠」があり、江戸時代に徳川将軍家が枠内の源泉をたるに詰めて江戸城へ運ばせた。
町によると、町内の宿泊客は昨年度は延べ約二百十万人で、日帰り客は同約九十八万人。町観光課は「湯畑一帯は夜にはライトアップしており、幻想的な夜の湯畑も見に来てほしい」と呼び掛けている。
今回の指定により、県内の国名勝は七件となる。