左上: 西成区あいりん地区、中央: 飛田新地、右: あべのハルカス
飛田新地(西成区)、嘆きの壁を挟んで東が阿倍野区嘆きの壁越しの飛田新地、窪地にある飛田新地の青い光や赤い光が見えない様にフェンスに仕切られている。
飛田遊郭は遊女に逃げられないよう嘆きの壁でかこまれていた。東側の阿倍野区との間に名残として残っていたものが、目隠しのフェンスとして未だ残っていることになる。
飛田新地の現在(東から西へ)
参考
管理人の趣味で飛田新地の遊び方や体験談を紹介してます
飛田新地の営業時間は朝10時から24時まで
飛田新地は朝10時にはもう営業している店舗もある。本腰が入るのは13時からであり、24時を過ぎると一斉に閉店する。13時からは店舗も多いのだが、客も多くなる。朝に遊びに行くと、じっくりと姫を選べるので、一度試してみる価値はあるだろう。
料金体制としては、15分11000円から始まり、20分16000円、30分21000円、45分31000円、60分41000円である。基本的に値切ると他の店舗を勧められてしまうので注意だ。基本は20分が多い。30分あれば、たっぷりと堪能することができる。15分は早漏ならいけるだろうか。もっと安く済ませたいなら妖怪通りと呼ばれる2つの通りを使うのも一つの方法である。
店舗の前にはやり手ババアが居るので、歩いているとガンガン声をかけてくる。それはとりあえず無視して、姫をじっと見るようにしておこう。だいたい顔もスタイルもいい姫ばかりだ。しかし、愛嬌のない女に引っかかると大失敗になる。
姫の顔を見ることが大事だ。これはその良し悪しを評価するわけではない。姫はこちらに直接、声をかけてくることはない。そういうルールだ。だがアピールをすることはできる。ちゃんと笑顔を向けてくれるか、それがイヤイヤではないか。どこかぎこちなくはないか。その辺りをきっちり見極めるのだ。
しかし、客が増えてくると、良さそうな姫はどんどん他の客の接客についてしまう。その辺りは早い者勝ちなのだ。だが焦りは禁物である。このバランス感覚が飛田新地を遊ぶ上で求められるのだ。
飛田新地で遊ぶ上で気になる性病リスク
飛田新地の姫たちと恋愛をして一発ヤると気になるのは性病リスクだ。色んな男たちと自由恋愛している姫たちのなかには、そのあたりをきちんと性病への対策をしていない姫もいる。きちんとゴムを付けることが大事だ。
自分のモノの大きさがLサイズならゴムは持参することも考えておくべきだ。ゴム無しでヤるのは、素っ裸でサバンナを横断するような行為である。ゴム無しで遊ぶなんてことは考えないほうがいい。命知らずで快楽主義なら止めはしないが。
ネットの匿名掲示板でも、飛田新地の姫の話題はある。そこでは、どの姫が地雷だったのか、どの姫に性病の疑いがあるのか、と情報交換がなされている。しかし、すべてを鵜呑みにするのはよくない。怒りゆえの告発もあるが、自分のお気に入りの姫を他に取られないために嘘をついていることもあるからだ。
どんなに気をつけても、性病をもらうときはもらってしまう。そのあたりは万全の注意をしつつも神に祈るぐらいしかないだろう。
② 飛田遊廓(とびたゆうかく、wikiより)
概要
1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も転向以前の雰囲気を残している。大部分の「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。
現在料亭(本来の料亭)として営業している「鯛よし百番(地図)」は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年に国の登録有形文化財となった]2015年9月23日放送の探検バクモン「ニッポン労働ブルース~人情編~」にて町並みが放送された。
歴史
1912年(明治45年)1月16日、難波新地乙部遊廓が全焼するミナミの大火が発生。廃業・移転を迫られた業者たちによって阪南土地建物会社が設立され、阿倍野墓地北西の低地に代替地を求め、1916年(大正5年)に築かれた。規模は、22,600坪。1918年(大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である。戦後にいわゆる赤線となった。
③ 店舗マップ(参考)
④ 鯛よし百番(参考)