福岡市の立花高校、阿弥陀如来の極楽浄土 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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せめて死後には阿弥陀如来の極楽浄土に往生したいと願い、「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀如来を信仰する人達の仏教、親鸞聖人の浄土真宗の教えそのものの学校があった。

この学校は浄土真宗のお寺の付属高校では無かろうが、教育方針と教育環境はまさに阿弥陀如来の本願と極楽浄土であった。すなわち、どんな生徒でも、学校に行って勉強したいと願う生徒は必ず受け入れてもらえ、愛してもらえるところであった。

校長先生がまさに阿弥陀様の生まれ変わりに見えてきた。

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〒811-0213 福岡県福岡市東区和白丘2丁目24−43


参考

「名前を
けば」福岡・立花高の教育論

佐々木 恵美:フリーライター・エディター(東洋経済、2016.12.28、参考)

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不登校だった生徒が多く通う福岡市の私立・立花高校は、生徒をサポートする体制作りに力を注ぐ

福岡市の中心から車で30分ほど、住宅街の高台に校舎が見えてくる。私立の「立花高等学校」だ。実はここへ通う生徒のおよそ8割が、小中学校で不登校を経験。それでも高校へ通いたいという思いで同校へ進学し、独自の教育システムのもとで学校生活を送っている。不登校だった生徒たちはなぜ、立花高校に通うのか。齋藤眞人校長に話を聞いた。

学校まで来て、そして名前を書いてくれれば
――「立花高校は、入試で名前を書けば入学できるらしい」。福岡ではずいぶん前から、そんなうわさが広まっています…。

うわさは事実ですよ。本校の生徒の約8割は小中学校で不登校になり、障害のある子もいます。そんな子たちがうちの高校に来たいと頑張って試験を受けてくれる……。優劣をつけることなんて、できませんから。

入試前、お母さんから電話がかかってくることがあります。「入試に私服で行ってもいいでしょうか」と。久しぶりに子どもが中学の制服を着たら、入らなかったそうです。きっと何カ月も、あるいは何年も登校していないのでしょう。外出自体が数カ月ぶりという人だっています。それが親子にとって、どんなに大きな一歩か。私たちはもちろん「私服でどうぞ」とお答えします。来てくれるだけで、素晴らしいじゃないですか。

入試の日、学校前の長い坂道で、緊張のあまり吐いてしまう子もいました。すると、別の子が背中をさすって励ましていました。その光景を見て、胸が熱くなりましたね。当日の朝、「どうしても子どもが家を出ない」という保護者からの電話があれば、前は職員がご自宅まで車で迎えに行っていました。でも、それはやめました。無理して車に乗せるのは違うと思ったから。今は「本人が来ようと思うまで待ちましょう。私たちは来年でもいつまでも待ってますから」と伝えています。

保護者だって本人だって、つらいんです、頑張っているんです。だから入試の日、私たちは祈ります。「頼むから学校に来て、そして名前を書いて」と。そうすれば、あとは一緒にやって行こうという思いでいます。

――どのような成り立ちの高校なのでしょうか。

設立は1957年。「一人の子を粗末にする時 教育はその光を失う」を理念として、当時の教育に違和感を抱いた公立高校の先生たちが、退職金を持ち寄って建学したと聞いています。その後、経営母体や学校名が何度か変わり、1970年代には全校生徒が3人になったことも。それでも「一人の子を大切にする」という理念の下で学校運営を存続し、今では定員を超える520人の生徒が在籍しています。

――立花高校に来たきっかけは?

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齋藤眞人(さいとうまさと)/1967年宮崎県生まれ。宮崎県の公立中学校の音楽教員を経て、2004年に教頭として立花高校へ赴任。2006年から校長

私は宮崎の公立中学校の音楽教師で、吹奏楽の顧問も熱心にしていました。それが30代半ば、立花高校の教頭になりませんかと声をかけられたんです。私は宮崎出身で、本校のことは知りませんでしたが、話を聞くうちに心惹かれました。

ちょうど、自分自身の教育実践に疑問を感じ始めていたときでした。自分はこのままでいいのか? 教育は厳しいだけではダメだと。うまくいくときは力じゃない、生徒と心が通ったとき、想像以上のことが起こると実感していたんです。そういう私も、中学では竹刀を持って校門に立ち、あいさつしない生徒がいたら「こら、あいさつせんか」と指導していたんですよ。一生懸命ではありましたが、生徒の思いを顧みない身勝手な教員でした。多くの生徒を傷つけていたことを今でも後悔しています。

2004年に36歳で教頭として赴任し、2年後に校長になりました。学校を改革しようと意気込んで来たわけではありません。すでにやっていることを改めて整理し、プロデュースすることが私の役割だと考えました。

北海道や沖縄、北欧など、国内外の学校へ視察にも行きました。特に北欧では、家族的な学校の雰囲気などに感銘を受けました。学校に癒やしやゆるやかさ、大らかさがある。われわれがやろうとしていることは間違っていないのだと、確信を深めました。

校則では化粧はNGだが……

――着任して何を感じましたか?

それまで経験してきた教育環境とはまるで違いました。中でも、生徒と教職員の距離の近さや考え方にショックを受けましたね。例えば、濃い化粧をして登校する女子生徒がいて、学校のルールでは化粧はNG。だけど、先生たちは「あれは自己防衛やけんね~、あの子は化粧外したら来れんくなるけん、どうしたもんかね~」と話していて、一人ひとりに寄り添う教育って、こういうことだと思いました。

――教育方針に特長はありますか?

立花高校の合言葉は「パイルアップ」。積み上げるという意味で、不登校生徒の自立を支援する体制になっています。その一つは、全日制・単位制・2学期制であること。単位制なので留年がなく、取得した単位はなくならずに何年かかっても卒業を目指せます。また2学期制で春と夏に入学・卒業できるため、他校をやめて本校へ入学したい人が春まで待たずに「入り直す」ことができます。

通常のクラスで授業に参加するのは苦手でも、登校はできる生徒には、1~3年まで混成で生徒の学びを支援するサポート教室があります。ここが居場所となり、元気に登校できるようになった生徒もいます。家庭から学校までのステップとして、「学校外教室」もあります。登校が難しい生徒のために、県内の公民館など5か所に教師が出向いて授業を行い、出席日数としてカウントします。

それから、卒業はしたけれど、すぐに働くのが困難な卒業生をサポートするために、NPO法人を作りました。以前からお弁当屋さんで卒業生が働ける仕組みを作っていましたが、今年からこのNPO法人が校内でカフェラウンジを営業し、そこで働いてもらっています。ここで自信がついたら、社会へ出て働いてほしい。また、社会福祉法人と業務提携して、学校の敷地に作業所を開所し、卒業生の自立訓練にも取り組んでいます。

――こちらへ進学しても、不登校になる生徒もいますよね。

もちろん。でもね、「無理してでも登校しなさい」とは言わないようにしているんです。変な言い方かもしれませんが、安心して不登校でいられる学校でありたい。学校を休む生徒をどのタイミングでどうフォローするか、そこはいつも試行錯誤で、永遠の課題ですね。

――高校周辺の地域と連携することも重視していますね。

地域と密接につながるために、今年から「おたがい様コミュニティー」をスタートしました。地域の方々と月1回会議を開き、授業で講師を務めてもらったり、高校や地域の行事に互いに参加したりしています。今年度は毎週金曜日に、地域の方々と「作業体験学習」をしていて、就職を目指すコースの2・3年生が参加しています。高齢者の住宅で除草したり、手芸や洗車などについて学ぶ10種類のメニューがあります。いろんな人たちと顔の見える関係を築き、交流することで、生徒にもよい変化が現れています。

立花高校の原点にある考え方

――地域の人とはずっと良い関係を続けてきたのですか。

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扉が開かれている立花高校の職員室。教員から積極的に生徒に声をかけるようにしているという

以前はお叱りの電話がよくかかってきました。「生徒が煙草を吸っとった」とか。そんな中、数年前に地域のおばあちゃんから「おたくの子が朝から元気にあいさつしてくれて、とても気持ちがよかった」と電話がありました。私はすごくうれしくて、授業中でしたが、放送で全校生徒を体育館に集め、こんな電話があったと報告しました。そしたら「それだけでみんなを集めたんか」と突っ込まれつつも、生徒たちからわーっと拍手がわきおこってね。やっぱりみんな認められるとうれしいんですよ。

「できないことを嘆くより、できていることを認め合う」、これが原点です。われわれは厳しく「あいさつしなさい」なんていう指導はしません。その代わり、生徒を愛おしいという気持ちで教職員が生徒に声かけをしていたら、生徒たちも自然とあいさつしてくれるようになりました。

最近は、地域はもちろん社会から本校へ向けられる目がずいぶん優しくなりました。理解してくださる方がじんわりと増えてきたのだと思います。

――積極的に講演活動もしていますね。

数年前に小さな会合で立花高校について話したところ、講演の依頼がどんどん増えて、今は年間100本近くお話させてもらっています。いろんな方に生徒のことを聞いてもらうのは、大変ありがたい。生徒はそれを知っていて「校長ちゃん、今日も私たちのことを話しに行くと? 気を付けて行ってきいね」と言ってくれます。

――生徒は「校長ちゃん」と呼ぶのですか?

そう呼んでくれます。一般的な感覚では失礼だと思うかもしれませんが、私はそう呼ばれるたびに、生徒のことが愛しくてたまらなくなってしまうんですよ。そんな生徒がいてもいいじゃないですか。苦労してきたこの子たちに、世の中を大らかに変えていく光になってほしい。

今の日本は厳しい社会になっているように思います。何かできないことがあると、その人の努力が足りないと責められて……。学校や仕事へ行くことを当たり前と思っていませんか。お子さんが毎日学校で6時間も授業を受けることは、実はすごいことだと思いませんか。できていることを認め合う社会になってほしい。社会全体に寛容の精神が広まることを願っています。

そして、今も人知れず不登校で苦しむ多くの子どもたちに「キミはキミのままでいいんだよ」と自信を持って伝えたいです。

インタビューの後、校内を見学させてもらった。新築されたばかりのきれいな校舎で、生徒たちはいきいきと過ごしていた。見知らぬ私にも明るくあいさつしてくれる。齋藤校長を見かけて「校長ちゃん、ちょっと聞いてよ~」などと話しかけてくる生徒が何人もいた。

最後に、立花高校の学校案内で見つけた、卒業生の言葉を紹介したい。ここに同校の姿勢が凝縮されていると感じたから。「いろんな人から褒めてもらったことが心からうれしかった」「立花では遅れて行っても「よく来たね」と言われ、まわりの友達の目も温かく3年間があっという間だった」「何事も自由に挑戦させてくれて悩み事も先生と連携を取ることで解消できました。卒業した今だから、愛されていたなと感じます」。