160年前の福沢諭吉が見たパリと現在 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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福沢諭吉がパリを訪れた1862年は、まさにパリの大改造の最中であった。以下の凱旋門あたりの写真の風景は福沢諭吉が訪れる直前に完成したものであった。

この凱旋門あたりの風景は現在と変わりなく、我々と福沢諭吉が見た風景は同じであった。

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ナダールが気球上から初めて空撮したパリ、1858年、PHOTO: NADAR / GETTY IMAGES(参考)

凱旋門(右手、右手上にモンマルトル、モルソー広場、右手から左下に向かうブローニュの森へ向かう通り)あたりの上空から北方向を空撮した。

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2016年現在のブローニュの森へ向かう通り(現フォッシュ通り)からの凱旋門

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凱旋門の左手の中央の建物の拡大、160年前当時の建物と同一と思われ、高さと階数は変わらないようだ。

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2016年現在の凱旋門あたり(上にモンマルトル、モルソー広場、右下にブローニュの森へ向かう通り)を鳥瞰した航空写真


参考

① ナポレオン3世とオスマンの「パリ大改造」(1853年~70年)は、道路の概念に放射状のパターンも採用した。凱旋門では12本の道路が中心に向かって集中し、交差する(参考)。

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マルヴィル「オペラ通りの建設工事」


② 歴史発掘スクープ! 若き福澤諭吉はパリ滞在中に激写され、その写真は「細長い顔の実例」として人類学の古典に載っていた!