パナマ運河の現在 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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パナマ運河は2016年6月26日(参考)の拡張の完了によって、最大で幅49メートル幅(従来32メートル)、全長366メートル(従来294メートル)の大型船が通れるようになります。船の容量で言えば、コンテナ船は容量で2.6倍、ばら積み船も重量で2倍以上の船が航行できるようになった(参考)。

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パナマ運河のガトゥン閘門(こうもん)の航空写真(2016年5月11日撮影、参考)。大西洋から遡る方向

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ガトゥン閘門、北側が大西洋(最新版は未更新で、工事中の現場が見える)

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ミラフローレス閘門(参考)太平洋側から遡る方向

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ミラフローレス閘門、南側が太平洋(最新版は未更新で、工事中の現場が見える)

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拡幅後のパナマ運河(参考)

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右側が通行水路、左の三っのプールは節水の為の貯水池(閘門の開閉に同期し通行水路の水を出し入れする)(参考)


参考

① パナマ運河は1904年よりアメリカ合衆国によって建設が進められ、1914年に開通した。1999年12月31日、パナマに完全返還されている。


② 隣にニカラグア運河の建設計画が中国企業主導によって進められている(参考)。しかし、頓挫した模様(参考)。