長府藩大蔵跡地 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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長府藩の米倉が現在の阿弥陀寺町から壇之浦町の中間にあった。現在の長府から前田の辺りは米の取り扱い港として適していなかったようだ。

また、長府と赤間関を結ぶ道は旧山陽道の他に、住吉道(長府道)があるが、この道が直ぐ東に接続している。

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幕末期の長府藩大蔵(参考)

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船溜り左隣のマンションあたり

長府藩大蔵(高杉晋作写真集より)


参考

① 前田が古代山陽道の渡し場、臨門駅との説があるが、港としては適していなかった(参考)


② 赤間関と長府を結ぶ旧山陽道の他、もう一つの道、住吉道(長府道、参考)


③ 阿弥陀寺町から壇之浦町あたり