穴戸豊浦宮から長門国府の変遷 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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現在までに明らかになった長門の国府の位置をまとめて図示する。

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1 下関市の綾羅木川流域、2 長門市油谷町、3 下関市長府

弥生時代: 1  綾羅木川流域 イツツヒコ王国
古墳時代: 1  綾羅木川流域  穴戸豊浦宮 仲哀天皇
白村江の戦い敗戦:  2 油谷町 長門国府 柿本人麻呂
長門鋳銭司の時代: 3 長府 長門国府 鋳銭使が国司
平安末期: 1 綾羅木川流域 長門国府 平知盛
鎌倉時代以降: 3 長府 長門国府 守護

1 綾羅木川流域について(参考)
2 油谷町と初代長門国司について(参考)
3 現在の長府(参考)


参考

現在の綾羅木川流域は下関市で最先端の都市に変貌しようとしている。再開発で新しい街が出来ると同時に、古代の遺跡も益々、発掘されて日本史の書き直しに貢献すると期待される。

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