福江の人丸神社と製鉄 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市大字福江の林地区に長仙古墳(円墳)がある。ここに昔、人丸神社があったが、今は福江八幡宮に合祀されている。人丸神社は「火止まる」の語呂合わせから、鍛冶屋の防火の神様としてお祀りされていたとか!


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八貫堤と長仙古墳(赤)

しかし、鍛冶とかタタラなど製鉄に関する具体的な伝説が無かったので不思議に思っていた。実は猿猴石伝説(猿猴とは河童のこと)が、直ぐ真北にある八貫堤にあった。


すなわち、猿猴(河童)とは製鉄の民のことであり(参考)、福江の林地区にも製鉄が行われていたことが分かる。



参考


① 福江の人丸神社と猿猴石


やすおか史誌 平成2年 P604 ~ 607

伊勢神宮
福江八幡宮境内
祭神 天照大神 須佐之男尊 稲田姫命

山王社 (日吉神社)
林畔の宮、字畑代160番地
祭神 大山咋命 猿田彦命

人丸神社
福江迫85番地(通称 長せん ・ 長仙)円墳 1基
祭神 柿本人麻呂
本来の意味よりも語呂合わせの 「火とまる」 として火難の神として祭られた。 安産の神とした場合もある。

小田八幡宮  天神社 (地下上申) 菅原神社 (旧天満宮 山口県風土誌)

小田畔の宮、字天神136番地、境内は2200坪の広さだった。

地主神社 (竜王神社)
福江の宮、字奥寺811番地
祭神 大山祇神 (大山津見) 山を受け持つ神で祭礼は福江八幡宮の祭礼の翌日に同じように行われた。「豊浦藩浦明細書」奥の院へ松林 8丁上る とあり、御弥山の頂に石垣が残る。

疫神 (須佐神社)
山中畔の宮、字疫神1326番地
祭神 須佐男尊 (素戔嗚神)

皇子八幡宮
大塚畔の宮、字王仁2146番地
「地下上申」皇子社 大塚村に有り。一説に、寿永4年の春壇之浦で敗れた平家の乳母が皇子の霊を捧じて、この地に祀ったとの伝承がある。ここの祭事は精進潔斎して行われ、これを破ると必ず神罰ありとの言い伝えがあった。

大歳社
字里の後にあった。

大歳森 小田村にあり。  ただ今小田畔 植田氏の邸内にある。
貴布祢森 小田村にあり。行者社・狩小屋社などがあったが所在不明

猿猴石   同 P792
福江の林村にあり 川尻水溜りのところ。通称 「八貫、はちかん」 と呼ばれる場所にあった。猿猴は、ここに住んでいたずらした。
今は福江八幡宮の鳥居前の暗渠改修の時に蓋石にした。八貫堤が1652年に作られる前の話であった。



② 下関市内の猿猴石伝説(参考)


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③ 『注進案』西豊浦郡前支配に載る人丸社は、現在は福江八幡宮に合祀されているが、もとは近くの長仙古墳の上にあった。


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正面の長仙古墳(円墳が山頂にある)に人丸社があった。また、左手の山麓に山王社があった。右手の道は旧北浦往還道で古代からルート変更は為されていなく、沿道に役行者像、八貫古墳(円墳)、天神古墳(前方後円墳)、その他、寺社が並ぶ。


④ 製鉄の民(タタラ職人達)は日本を守る兵士でもあったと思われる(参考)