長府の中土居の地名は土塁の中のこと | 日本の歴史と日本人のルーツ

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下関市長府の中土居と言う町があるが、土居とは土手とか土塁と言う意味がある。この地区周辺は花崗岩地質であり、四王司山頂から以南の中土居本町あたりまでの山麓は、宅地の乱開発と同時に真砂土の土砂崩れの爪痕が見られる。

すなわち、中土居本町の中土居と言う地名は、この辺りに土砂崩れを防ぐ土塁があり、土塁の中にあったことを示唆する。

ちなみに、国道2号線と長安線の交差点がまさに土砂崩れの発生元あたりにあり、周防灘の海岸に開いた扇状地となっているが、ここの地名が滑石(なめらいし)であった。

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赤線が土居(土塁、予想)、黄色線が旧山陽道、青線が旧海岸線

現地視察とグーグルマップ(ストリートビュー)で見たところ、旧山陽道を保護する目的が見えて来た。

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土塁の東、海岸側、山口県下関市長府金屋町

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土塁の西、山側、左手が長府高校

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元禄時代の長府あたりの古地図では、旧山陽道から土塁の上に民家や林があり、現在の中土居本町あたりは空地であった

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古地図その2


参考

① 長府の航空写真

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昭和50年の長府の四王司山から南に中土居本町あたりまで

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中央、昭和50年頃の長府の中土居本町地区

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中央、現在の長府の中土居本町地区


② 土居の意味

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③ 山口県の地質

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山口県下関市長府地域は花崗岩地質


④ 長府は土砂崩れの恐れが大きく、国府向きでは無かった(参考)


⑤ 土塁を北北東方向に旧山陽道に沿って追跡した(参考)


⑥ 長門城の候補(参考)


⑦ 土塁は版築では無い盛土のようだ(参考)


⑧ 長府の江戸時代の古地図で最も街並みが拡大したものを見ると(参考) 、土塁の東側と旧山陽道の間に沿って、北に街並みが発展している。やはり、土塁は土砂崩れから身を守る砂防ダムだった。

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⑨ 土塁の北端部は未完ではあるが、計画されていた(参考)


10 長門国府であった長府は条坊制の都では無かった(参考)、町の拡大に合わせて土塁を延長させていた!