籠城を想定した朝鮮式山城そのものは亡命百済人の指導があったかも知れないが、神籠石山城の土木工事を含め花崗岩地質の山体の土木工事は花崗岩地質では無い朝鮮半島西部出身の亡命百済人のノウハウとは言い難い。
白村江の戦い当時の日本の土木技術者の固有の技術であり、旧任那あたりから渡来した秦氏のノウハウではなかろうか?!例えば、対馬の金田城は本格的な山城であり、籠城を考慮した朝鮮式山城と言うより攻撃型の山城であり(参考)、これは日本式と言えよう。また、長門城は日本書紀には築城したと書かれ、それと思しき山城が下関市にある。しかし籠城を考慮した朝鮮式山城では無かった(参考)。
参考