和布刈神事 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

住吉神社と和布刈神社の和布刈神事を調べて見た。

{F2CA1B9B-6EEB-42CD-914B-18C4596AFD28:01}
関門海峡の早鞆瀬戸と壇之浦

{DDF54D69-D8C6-4F5C-A197-F308415F5098:01}
和布刈神社のワカメ

{CAA26663-3F57-4AD0-9E55-A756842EA0E1:01}
住吉神社の和布刈神事


参考

① 和布刈神事とは(コトバンクより)

{F13A3485-B2FD-4E25-AB58-A6AB229D4884:01}


② 和布刈神事(参考)

毎年旧暦の元旦深夜に、関門海峡の両岸で和布刈神事が行われる。門司側は和布刈神社(創建:仲哀天皇9年)、下関側は住吉神社(創建:神功皇后)が執り行う。神官が松明持ちと共に寒風吹き荒れる潮流の中に入り、万物に先駆け萌え出るワカメを刈って神前に供える。神事は秘祭とされ、非公開であった。和布刈神社は、第二次世界大戦後一般公開されようになったが、住吉神社はいまだに秘儀主義を守っている。両神社は、神功皇后伝承にゆかりの神社である。神功皇后は、古事記・日本書記に詳しく記されている皇后で、第十四代の仲哀天皇の御妃である。神事の由来も、皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って自ら神主となり早鞆瀬戸のワカメを刈って神前に捧げたという古事によるとか、海部の神安雲の磯良が、神功皇后に満干の珠を献上した故事によるなど、いずれも神功皇后にまつわる話として伝えられている。和布刈神社に祀る彦火火出見尊は、「海幸山幸」に由来する神。社記に、「海幸・山幸」の神話伝説がある。彦火火出見尊は、兄神の火闌降尊(海神)から借りた釣針を探しに竜宮に行き、満干の珠を授かって帰り、兄神から隼人族の長としての政を受けついたといわれる。ワカメを刈って神前に供えてお祭りをするのは、この時から続いたならわしであるという。現在、神事は海峡の安全と家内安全祈願として執り行われ、関門海峡の風物詩として今日まで約1,300年以上も続いている。雛祭りの頃、和布刈神社の「人形供養祭」と赤間神宮の「平家雛流し」がある。

{825A7E77-CDE9-402F-9B5D-186C5E5FE68E:01}


③ 下関市の住吉神社は明治以後、山田大宮司家に代わり中央(現在の神社本庁)から宮司が派遣され数年ごとに代わる。この為、門司の和布刈神社では高瀬家が代々宮司を勤めるのとは異なり、和布刈に関する古文書類は少ない。明治政府は文明開化で神仏混淆を廃し社寺を整理したが、貴重な神事や古文書、言い伝え等、伝統文化もかなり亡んだ(参考)


④ 下関市の住吉神社は江戸時代まで布刈明神(和布刈明神)と呼ばれていた(参考)


⑤ 現在の神事の内容としては、午前一時から三時までの干潮時に、正装した神主三人が鎌と松明を持って海中に入り、和布を刈り取って神前に供えるというもので、この和布は万病に効くといわれて朝廷にも献上されていた。また、神主の松明を見た者には凶事があると伝えられ、この時には近辺の人々は外出を控える。

同じ神事が、住吉神社(山口県下関市一の宮)でも行われており、同じ阿曇氏系の志賀海神社の祭にも藻を刈る神事が付随している。また、能登輪島の重蔵神社の如月祭りでは、藻を神馬藻(ほんだわら)と称し、神の髪の毛(神馬の鬣かと思うが)として、神前に捧げた後、氏子一同で食すという神事があるが、これも類似の神事といえるだろう(
参考)。


⑥ 和布刈神社、北九州市門司区(参考)