山口県柳井市の離島、平郡島(へいぐんとう)は山口県周防大島の南隣りにあり、隣りの祝島や大分県の国東半島近くの姫島との間は古代からの瀬戸内海航路であった。周防大島や姫島は記紀の国生み神話に出て来るし、近くの倉橋島や田布施町あたりは万葉集の中の遣新羅使の歌の舞台でもある(参考1、参考2)。
すなわち、これらの島々は古代の海人族安曇氏の住むところであった。
平郡島は元々、ヘグリと呼ばれていたとか!ヘグリなら、古代氏族の平群氏を思い出す。彼らは蘇我氏などと同族で、海人族安曇氏の長、武内宿禰の後裔を称して天皇を凌ぐ勢力を持っており、平郡島の住民と同族と考えても間違いない。瀬戸内海を行き来し、平郡島を根拠地にしていたと想像する。
参考
①-1 平郡島(参考)
①-2 平郡東地区(柳井商工会議所より)
平郡東地区は、12世紀末に紀伊国早田の城主 鈴木氏の一派が宇治川の戦いに敗れた源義仲(木曽義仲)の遺児 平栗丸(へぐりまる)を連れて移住したことが始まりと言われています。
現在の人口は約300人です。
平郡東地区の見どころ(・五十谷三島・五十谷海水浴場・大嶽・海蔵院・海童神社・浄光寺・真倶様・早田八幡宮・役行者)
①-3 平郡西地区(柳井商工会議所より)
①-3 平郡西地区(柳井商工会議所より)
平郡西地区は、13世紀に伊予国の河野水軍の一派が移住したことが始まりと言われており、平郡西地区の寺社にも伊予国との関連が見られます。
現在の人口は約200人です。
平郡西地区の見どころ(・赤石神社・石風呂・円寿寺・重道八幡宮・蛇の池・東京巡査墓・火伏地蔵・妙見様)
② 平郡島(へいぐんとう)は元はヘグリ島(参考)
平郡島は周防大島(屋代島)の南隣り
平郡島は、かって「へぐり」と呼ばれていました。
その島名の由来は昔から様々で、これといった確証の持てる由来は何一つありません。近代になってその風変わりな名を嫌い、今の「へいぐんとう」という呼び方に改まります。
正徳三年(1713)に書かれた和漢三才図会という書物には「遍ぐり嶋」と記してあり、また天保年中(1830~)に編纂された防長風土注進案にも平郡嶋と書いて「ヘグリ」と、読み方のルビが入記してあります。
その島名の由来は昔から様々で、これといった確証の持てる由来は何一つありません。近代になってその風変わりな名を嫌い、今の「へいぐんとう」という呼び方に改まります。
③ 海童神社
平郡島の海童神社の由来は入手出来なかったが、長崎県の神社によると海童神は大綿津見命と考えられ、海人族安曇氏の神であった。
④ 海人族安曇氏の長、武内宿禰の末裔、平群氏(ヘグリウジ)
⑤ 平郡島の北に隣り合う周防大島は古事記の国生み神話の大八島の次の6つの島として出てくる。すなわち、海人族が船で上陸した主な島々であろう。