浦島太郎は応神天皇、乙姫様は神功皇后、亀は武内宿禰 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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八幡様、すなわち応神天皇と神功皇后は浦島太郎と乙姫様と見立てる!それでは八幡様を乗せる亀は武内宿禰か(参考)!武内宿禰は海人族安曇氏の頭領であり、葛城氏、蘇我氏などの豪族のルーツでもある。祭神に武内宿禰が祀られておらずとも、亀山があれば武内宿禰が隠れて支えておられると言うことか!

下関市の住吉神社も小高い山の上にあり、武内宿禰が祭神達の中央に鎮座している。

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住吉神社、下関市

また、忌宮神社の地主大神が武内宿禰であった(参考)。実は下関市の亀山八幡宮の宮司は武内宿禰の末裔でもある。

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亀山八幡宮、下関市

武内宿禰の直系末裔の蘇我本家が乙巳の変で滅ぼされてから表裏が逆転した(参考)。蘇我氏の再評価が必要である(参考)。

宇佐神宮の亀山も武内宿禰を象徴していると考えると、地主神の比売大神は現在は宗像三女神としているが、実は海人族安曇氏の女神(参考)、すなわち玉依姫や天照大神と同一神であった(参考)。さらに踏み込めば、卑弥呼である(参考)。

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亀山、宇佐神宮

北九州市門司区の和布刈神社は安曇磯良神(武内宿禰と同一神)や豊玉姫命など安曇氏系の祭神と比売大神(現在、宗像三女神と同一神とされる)を祀っているが、この比売大神こそ天照大神と同一神であろう。

ところで、出雲の日御碕神社の下の本宮(日沈の宮)の祭神が天照大神と素戔嗚尊であり、下関市の住吉神社や北九州市門司区の和布刈神社と同じく和布刈神事を執り行っている。ちなみに島根半島の東端の美保神社の祭神・恵比寿神は武内宿禰と同一神であり、海人族安曇氏の祀る神であった。


参考

① 亀山八幡宮(
参考)

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亀山八幡宮は、下関市の中心地に祀られています。御祭神は応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇。平安時代・貞観元年(859)に宇佐八幡宮から勧請されました。

「関の氏神さま」「亀山さま」と親しまれている亀山八幡宮がある地は、古くは島でありました。

平安時代・貞観元年(859)に、京の都の守護のため宇佐神宮(大分県)から石清水八幡宮(京都府)に勧請される途中、この島の麓に停泊されました。その夜、「此の山清浄なり、我もっとも愛す。暫らく祭祀し奉り路を進むべし」とのご神託があり、供の勅使は国主に命じ仮殿を造営させてお祀りし、再び京に向かわれたと伝えられています。(享保年間「防長社寺由来」記載)

「亀山」という名称は、当時島の形が亀に似ていたとも、宇佐の八幡様がお祀りされている山が亀山だからともいわれています。


② 宇佐神宮(参考)

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神亀2年(725)年に現在の社地、亀山(かめやま)(菱形(ひしがた)山とも小椋(おぐら)山ともいう)に移されて八幡大神様が鎮座されたのが宇佐神宮の創立です。

亀山の山の神は大山祇命で亀山神社、武内宿禰は黒男神社に祀られている。


③ 亀山神社、呉市

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④ 亀山が付く神社は八幡神を祀っている!

・亀山八幡宮、佐世保市
・亀山神社、三原市
・亀山八幡神社、亀山市


⑤ 亀山八幡宮と同じ由来を持つ下関市内の神社(参考)

宇佐神宮から勧進された同一の由来を持つが、仲哀天皇、仁徳天皇、玉依姫、宗像三女神など勧進されていない神々がいつの間にか同時に祀られていたり、または姫大神が消えていたりする。


⑦ 浦島太郎説話と記紀神話(wikiより、参考)

浦島太郎がいた蓬莱山(竜宮城)とは仙人が住むという伝説の山であり、古代中国の不老不死を願う神仙思想が背景にあり、海のかなたの東方に、仙人が住む孤島があり不老不死の薬があるという島である。 神仙思想は古代中国の陰陽五行論ともつながり、劇中登場する亀の色の五色も五行論からきている。その蓬莱山が後の時代に竜宮城へと変化していった。

浦島太郎と似た説話に、海幸山幸神話がある。その劇中、天皇の祖神、山幸彦が「塩土老翁」(しおつつのおじ)という神に「無目籠」(まなしかたま)という水の入らないかごに乗せられ、海神の宮(わだつみのみや)に行き、海神(わだつみ)の娘、豊玉姫(とよたまひめ)と結婚し3年間暮らし生まれ故郷に戻り禁(タブー)を破る話の大筋がそっくりであり、また『古事記』に著される山幸彦の孫の初代神武天皇がヤマトに向かう際、亀に乗り釣竿を持った男とされる珍彦(うずひこ)が水先案内人になる場合があり、この2人の人物は不思議と浦島太郎に似ている。

浦島太郎のモデルとなったとされる人物として、『万葉集』に「墨吉」(すみのえ)の人の記述があり、これは今も大阪の住吉にあり住吉大社に祭られている住吉明神の事であり、別名、「塩土老翁」といい大変長命長生きであったとされ、そのモデルとされる武内宿禰も大変に長生きである。浦島太郎、塩土老翁、武内宿禰、この3者は長生きで繋がる。

住吉明神から塩土老翁、「老翁」の字が老人になった浦島太郎にそっくりであり、住吉明神、塩土老翁、浦島太郎の3者は長寿、老人のイメージで繋がり、また塩土老翁は大和朝廷の天孫降臨を導びき、神武天皇の東征をうながした謎の神であるとされる。また武内宿禰は古代豪族、蘇我氏の祖とされ応神天皇の東征を導いたともされ、

・浦島もどき:神武天皇の案内役の珍彦(うずひこ)
塩土老翁:神武東征を促し
・武内宿禰:応神天皇の東征を導く。

この三者は同じイメージで繋がっていく。神武東征と応神天皇の東征はルートも似ており神武と応神天皇も同一人物ではないかとの見方も見て取れる。

蘇我氏と浦島にも「」という接点がある。7世紀に全盛期を迎えた蘇我氏は、縄文時代から生産されてきたヒスイ(硬玉)を独占的に生産していた。ヒスイは海底からもたらされるため海神からもたらされる神宝と考えられ、蘇我氏が海の神宝ヒスイにこだわった所に浦島太郎とのかすかな接点が見出せ、それがゆえか浦島そっくりな山幸彦も劇中で海神からヒスイをもらっている。

蘇我氏の祖の武内宿禰は応神天皇の母、神功皇后の忠臣として活躍し神功皇后はトヨの海の神と強く結ばれ「豊浦宮」(とゆらのみや)に拠点を構え、それは「トヨの港の宮」とも呼ばれ、そこから神功皇后はトヨの女王と呼ばれた。蘇我氏のルーツと神功皇后との係わり、が浦島太郎の物語に関係しているとされる。