仲哀天皇の熊襲征伐は嘘では無かった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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仲哀天皇が橿日宮を前線基地にして熊襲征伐をした神話は嘘では無かった。

香椎宮は小高い丘に鎮座しているが、寺社が分布した古くからの乱雑な街並みの中心にあった。呉系弥生人(O2b)の国、すなわち熊襲の国の真っ只中にあった。

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福岡市の香椎宮と周辺寺社地域

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地域の拡大(右手に山を削った新興住宅があり、これは除外する)


参考

福岡市の香椎より北にある古賀市の粕屋屯倉あたりを着目する。筑紫君磐井の反乱に対し、筑紫君葛子が命乞いのために継体天皇に差し出した倉庫が「粕屋の屯倉」です。この神話に着目する。

ここが民族文化の分布の境目で、南が呉系弥生人(O2b)文化、以北が秦氏や斉系弥生人(D2)の文化がそれぞれ卓越している。

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粕屋屯倉以南、乱雑な街並みが目立つ

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粕屋屯倉以北、条里制地割の地域が目立つ




応神天皇や神武天皇にゆかりの地域は斉系弥生人(D2、ヤマト政権)の入植地であった(参考)。