本来の住吉神社の場所 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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赤印が下関市大字蒲生野字山田

住吉大神が神功皇后に穴門の山田邑に祀れと託宣した、山田邑は本来は火の見山の真北に位置していた(参考)

この山田邑からは火の山、霊鷲山、火の見山が一望でき、狼煙通信ネットワークの好適地であった(参考)。そして、穴門の豊浦宮、すなわち綾羅木川口から秋根あたりを護ることが出来る(参考)。


参考

① 現在の住吉神社の真東に忌宮神社と満珠島と干珠島があり(参考)、住吉神社も長府の忌宮神社の創建時に現在地に移築された可能性がある。現在地でも火の見山の山麓の東に立地して、火の見山山頂が見え無いことは無い。
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② 黒崎妙見社、垢田八幡宮に合祀

この神社の南に金毘羅山譜応寺、北に龍王神社があり、下関市の古社は四神相応の配置になっている。また、これらの古社は穴門を目指す海の灯台の役目を果たす響灘の沿岸の位置にあり、航海の神仏として信仰されている。


③ 穴門は秦王国の首都だった(参考)

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東方向を上にしたグーグルマップ、赤色は現代の関門航路であり、潮流から考えるとそんなに違わないと思われる。東に穴門が丸見えでした!