塩と神社 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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古代の神社の役割は塩生産の為の塩田を護ること、さらに塩を上位の神社に上納していって、大和朝廷まで年貢として届けられることであろう。これは米のほか神饌として献上されたものは、すべて同様に上納されていくシステムがあった。

しかし、現在は2000年以上の歴史の中で矮小化(平安貴族の荘園化、鎌倉幕府の地頭の配置、、、戦後の農地改革などの変遷を経て)して、神社と塩の関係は神社と浄め塩の関係となり、年貢としての神饌は現金に代わった。氏子は、例えば著者の場合は八幡宮、住吉神社、伊勢神宮に神饌料を納める。


参考

神社には塩が付き物ですが、穢れを浄めてくれるものとして、参拝者が頂いている。

塩の霊力として防腐、殺菌、生命維持、食品保存、食品味付けその他の効能があり、我々も納得するものです。

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下関市の響灘沿岸に日本最古の塩田があり、8世紀後半創建の永田神社が塩田を護っている。さらに長府の忌宮神社に塩を納入する神田であった(参考)。

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伊勢神宮内宮は専売公社だった(参考)