欧州大陸の男系男子の民族はアジア大陸へは進出できなかった | 日本の歴史と日本人のルーツ

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男性決定遺伝子のY-DNA遺伝子の分布について、男系男子の民族分布としては、欧州に広がった民族はアジアには進出できなかった。当初、アジアにはDが進出し、東の端の日本まで到達したが、中国大陸の大部分は後から分化したOの系統(漢民族)に占拠された。

たとえ古代ユダヤ教徒が日本列島まで辿り着いても(参考)、男系男子の系統の足跡は無かった! しかし、血液型Aに着目すると興味深い結果も導出可能である(参考)。


参考

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J系統はアラブ系

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I系統は欧州コーカサイド

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E系統は出アフリカ当時のアフリカ人が分化して、DとEに別れた。

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D系統の分布(緑)

注意: 秦の始皇帝時代以前は、Dは中国大陸全域から日本に広がっていた!しかし、後漢の滅亡時の人口の大激減で、死亡、周辺地への逃亡により、中央が空白になった(参考)。日本列島へのD2の渡来は2回に分けられる。縄文時代以前、石器時代からD2は存在したが、後漢の滅亡以降、再度、D2が大陸から渡来した(参考)。

すなわち、今、検出された結果を結びつけてはならない!離合・集散・闘争の民族の歴史と遺伝子の流れを混同してはならない!D2に関しても、アイヌが最も高い頻度で出現するから全員アイヌ系縄文人の末裔と考えてはならない!斉系弥生人、古墳時代の渡来人の秦氏もD2を持っていた。

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現在のO系統の分布(漢民族のほか、呉系弥生人など)