沖ノ島に出土した弥生時代の土器は朝鮮半島から下関に分布弥生時代の朝鮮系無文土器で沖ノ島に出土した形式(粘土帯甕)のものは、対馬、下関市六連島、下関市秋根しか出土していない。宗像大社の宮司による祭祀以前から、沖ノ島への上陸、土器の搬入などには宗像・鐘崎や長門北浦海岸などの響灘沿岸の漁師達の存在が考えられる。参考1 対馬、7 沖ノ島、21 六連島、23 秋根▲が粘土帯甕、朝鮮半島南東部に分布(参考)対馬、沖ノ島は下関市内と同じ響灘文化圏か!対馬の方言は響灘文化圏に近い沖ノ島周辺には江戸時代まで下関市の漁師が出漁していた響灘文化は沖ノ島、対馬を経由して大陸と交流した六連島式土器 六連島散歩秋根遺跡 発掘報告書最澄は遣唐使として帰国時、対馬経由で下関に上陸した