日野町と製鉄 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

①-1 滋賀県蒲生郡日野町

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平安時代に日野地域が「檜物庄」と呼ばれていたという記録が残ることから、この時代には既に檜物製造が行われていたと考えられている。中心部は蒲生氏が日野城(中野城)の城下町として開発した町で、蒲生氏が伊勢松坂・会津若松へ移ってからは漆器や製薬の産地、近江商人(日野商人)の発祥地として繁栄した。また西大路には任正寺藩(西大路藩)があった。

①-2 百済遺民
日野町の小野(この)には、鬼室集斯を祀る鬼室神社がある。鬼室 集斯(きしつ しゅうし、生年不明 - 持統天皇2年11月8日?(668年12月5日?))は、7世紀の百済の貴族。百済復興運動で活躍した鬼室福信の縁しき百済における官位は達率、日本亡命後の日本における官位は小錦下・学職頭


①-3 古代の日野は鉄の産地
滋賀県日野町別所から「高師小僧」と呼ばれる褐鉄鉱が産出し、日野町別所には高師小僧の碑も立っていて古琵琶湖の粘土から産出すると説明があるという。

古代の近江は近畿地方で最大の鉄生産地であったが、中国山地の砂鉄生産が優位になって平安時代には消滅したという。鎌倉時代には、近江源氏とも呼ばれる佐々木氏一族は中国山地の製鉄にも深く関わって、美濃の関の刀鍛冶用に近江商人の流通ルートを使って鉄供給を行ったとか(参考)。


②-1 鳥取県日野郡日野町

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②-2 山陰の製鉄
「鉄は国家なり」と言われるほど、国史・国勢におおきく関わってきた鉄の生産。奥日野地方は大昔から「たたら製鉄」の大産地であり、終焉までのその奥深い歴史を辿れば「産業遺産」としての価値の大きさが再認識され、知的興味がそそられるものである。

日野川源流の船通山(センツウザン)に伝わる「八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話」は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)が退治した大蛇の尾から三種の神器のひとつ、天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)が出顕したとされ、古代からこの地域で「たたら製鉄」が盛んになされ、優れた玉鋼を産してきたことの証しだとも言われている。



③-1 下関市豊田町大字日野

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白村江の戦いの敗戦(663年)前の650~655年頃までに、すでに豊田郷があり、班田収授による条里制の田地があった。

豊田町の郷土史によれば「日当たりの良い土地を日野」と言う。しかし、多々良との関連で日野の語源は火野と見ると、百済遺民の中の製鉄技術者集団が移り住んだ土地の地名と考えた方が自然な解釈であろう!

③-2 下関市の古代製鉄伝承
特に、この地に製鉄に関わる伝承については判らないが、豊田町大字殿居に多々良場跡があり、一山越えて西方面に川棚たたら遺跡や涌田浜の砂鉄採取場も確認されている。

多々良、福万、金塚、鍛冶屋、梶畑、小森など、鉄冶業に関連した地名とともに、川棚小野、福江(福江八幡宮合祀)、向日(王子神社相殿)に多々良の神社である人丸神社もあった。

『神社明細帳』には、貴飯村の美栄神社(菊川町楢崎)と下保木村の白山神社(同下保木)にも、人丸神社を境内末社へ合祀とあるが、今、両社とも祭祀伝承は途絶しているとのことであった(参考)。


④ 福井県の越前市の日野地区の近くにも鋳物師と言う地名がある。

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⑦ 朝鮮半島の百済国の遺跡