安岡八幡宮、下関 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

下関市安岡町4丁目8-39

平家を破った源氏の追討使が恒久的な支配基地として当神社を作ったとのことです。
鶴岡八幡宮によく似ています。

祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后と大歳神です。

下関駅の近くにある大歳神社が源義経の戦勝祈願から始まるように、大歳神は大山津見神の孫で穀物神であり、勝利、豊穣の神様のようです。ちなみに、安岡は神功皇后がお休みになった岡と言うことで、安らが岡から転じたものです。源平合戦では、壇之浦の海上のみの印象がありますが、実際の布陣では安岡八幡宮辺りに源氏が陣取り、彦島の平家と対峙したとのことです。平家が彦島を脱し、響灘側へ落ち延びることをせずに壇之浦で決戦に出たのは既に響灘側は源氏の軍で固められていたからと思われる。

{7FB73614-EB03-4571-92A2-B519E1E71FAF:01}


参考

① 由緒

寿永の昔平家追討使、源範頼は兵を率いて、安岡の浜に上陸し、冨任称山に源氏の守護神である鶴ヶ岡八幡宮になぞらえ、この地に八幡宮を祀り、戦勝の祈願をこめた。その後、八幡宮は近在18ヶ村の崇敬篤く社殿は宏大荘厳にして栄えたが、天保年間、土地の庄屋の争いより、分祠されることとなり、安岡迫山に移された安岡八幡宮(別に浜八幡宮)、冨任八幡宮に別れ、八幡宮跡には小祠を祀り古宮と称した。


② 源氏が創建した吉永八幡宮がある。


③ 源平合戦では、関門海峡に面した日本西門鎮守八幡宮が源氏勝利の白旗を揚げたと言う。


④ 武運の神様、大歳神社


⑤ 源範頼の源氏軍は芦屋あたりから響灘を渡って来た(参考)