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伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外のものは伊雑宮(志摩国)のみ。また神田を持つ唯一の別宮である。当宮は10社ある内宮別宮の中で荒祭宮、月読宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる。
祭神は、804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』では天照大神御魂とされる。ここで皇大神宮の遙宮(とおのみや)と称せられていた。倭姫命(やまとひめのみこと)が御贄地(みにえどころ=皇大神宮へ奉る御供物を採る所)をお定めになるため、志摩国をご巡行の際に、伊佐波登美命(いざわとみのみこと)が奉迎して、この地に当宮を創建して、皇大御神の御魂をおまつりしたと伝えられています(参考)。
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中世末以降は伊雑宮神職の磯部氏の祖先とされる伊佐波登美命と玉柱命(または玉柱屋姫命)の2座を祀ると考えられた。伊雑宮御師である西岡家に伝わる文書において、祭神「玉柱屋姫命」は「玉柱屋姫神天照大神分身在郷」と書かれる。同じ箇所に「瀬織津姫神天照大神分身在河」とある。
江戸時代には伊雑宮の神職が中心となり伊雑宮を本来の内宮とする偽書を作成し、先代旧事本紀大成経事件の舞台となる。伊雑宮が本宮で、後から内宮と外宮が出来たと言う主張がなされた(wikiより)。同様な話が地元にある。
瀬織津姫を天照大神荒魂と同一神として祀る。
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御田植祭、ここのお田植え祭りは一般的なお田植えよりも遅く、毎年、6月24日に行われます。
何故、この日なのかは定かではありませんが、巷で言われている日ユ同祖論を持ち出すと、結構説明できそうです。「伊雑」という名称は、初めて救世主の登場を預言した預言者イザヤを連想させますし、旧約のハガイ書には、エルサレム第二神殿の建設に取り掛かった日とされています(参考)。