弥生時代から古墳時代の境界年について、北九州の佐賀県にある吉野ヶ里歴史公園の歴史年表が最も遅い西暦300年で突然に時代が変わるとしている。時代の遷移が突然に起こることはあり得ない!学芸員が一人もいないのか?吉野ヶ里だけが頑張り弥生時代を守り、西暦300年に滅んだことを意味しているのであろう。
『後漢書』卷85 東夷列傳第75では、桓帝・霊帝の治世の間(146年-189年)、卑弥呼を王にして倭国大乱が収まったと言う。『梁書』卷54 列傳第48 諸夷傳 東夷条 倭では、後漢の霊帝の光和年間(178年-184年)とある。すなわち、弥生陣営と卑弥呼陣営の戦争が、卑弥呼陣営の勝利となった。
倭国大乱は北九州が主な戦場であったと考えられ、卑弥呼を弥生時代に入れるか古墳時代に入れるかはさて置き、北九州においても、この西暦189年頃から卑弥呼が死んだ西暦248年頃を一つの境目と考えられないか!
参考
九州の吉野ヶ里歴史公園は丁度西暦300年、千葉県我孫子市は西暦200年前後、学研は西暦200年から300年、第一学習社は西暦200年前後、某メディアは西暦300年前、某予備校は西暦285年頃、wikiでは西暦200年後半から西暦300年初、ある年表では西暦250年頃(参考1、参考2)などがある。
千葉県我孫子市年表(参考)
第一学習社(年表)
某メディア(参考)
中学受験予備校(参考)