龍王山、龍王神社 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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安岡地区から北方向に見る龍王山上宮(右手の山の肩の部分)、山頂としての龍王山は鋤先山の裏に隠れて見えない。

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龍王山上宮は鳥居の右上に重なっている。

龍王神社、下関市大字吉見下1726

旧郷社
御祭神 玉依姫命
配祀 住吉荒魂大神、天津兒屋根命、息長足姫命、誉田和氣命
合祀 底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神 (八大竜王)

龍王神社は、大正六年(1917)に旧郷社・乳母屋(ちもや)神社に旧村社・大綿津見神社(龍王社)を合祀して龍王神社と改称した。

乳母屋神社は、第八代孝元天皇の御代に御鎮座され第二十七代安閑天皇の頃、現在地にに社殿が建立され、奈良時代、元明天皇の御代に再建されたという古社。長門国第三鎮守(長門国三ノ宮)として崇敬された神社。祭神・玉依姫命は、授乳の神として崇められている。

一説には、祭神・乳母屋大明神は震旦朕州の神狐王皇大后の娘が、第十三代成務天皇の頃に来朝して仲哀天皇の乳母となり、神功皇后の三韓出兵の際に海を渡り仁徳天皇の御宇、乳母屋嶽(千乎嶽)に垂跡したとも伝えられている。

合祀された海の神、大綿津見神社も、第十二代景行天皇の御代に鎮座したという古社。龍王山山頂に上宮、中腹に中宮、麓に下宮があり、上宮、中宮に仏の神様、八大龍王が祀られている。

神功皇后の三韓出兵に際し、龍王山の大楠木で軍船を作った。
凱旋の時に、今の吉見古宿に上陸。船具・陣具の一切を海岸の岩穴に納められ大綿津見神社に奉賽感謝したと伝えられている。

龍王を祀る当社では雨乞祈願の花踊りが奉納される。また、神功皇后の三韓出兵の故事にならった数十隻の船団による、加茂島への御神幸祭が行われる。吉見港に浮かぶ加茂島は、女人禁制の島と言われこれを犯すと、大シケになるという。

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龍王山上宮、中宮と同じく八大龍王が祀られている。

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吉見、永田、響灘、蓋井島が見える。樹木を切り払えば、北九州市から吉見、蓋井島まで見える。


参考

吉見村大綿津見神社由来
神功皇后三韓渡海の前に乳母屋嶽にのぼり戦勝を祈願し、楠木を切り四十八隻の軍船をつくり出征、帰途、蓋井島、古宿の皇久保ヶ浜に舟をとめ宝物を岩穴に収めた。

海の神、大綿津見神社は古宿の小字大久保にあった。八大竜王は仏の神様で大綿津見神と同一視され、神仏集合の神社として大綿津見神社が現在の龍王神社となった。現在でも上宮と中宮は八大竜王を祀っている。

仁徳天皇は応神天皇のお子様ですが同一視されることもあり、応神天皇の代わりに仁徳天皇を祀っている神社もある。



龍王山山頂は標高614m、冬季、大陸から響灘を渡ってきた空気が日本に来て最初にぶつかる山らしい。そのため龍王山近辺は雨雲が発生しやすく、昔から雨乞いの神事が行なわれてきた。



龍王神社前の参道と、さらに御旅所までのを足すと途方もな長さの道になるが、これが高千穂のクシフル峰を象徴している。