社号 宇美八幡宮
福岡県糟屋郡宇美町1丁目1番
祭神 応神天皇、神功皇后、玉依姫、住吉大神、伊弉諾尊
由緒
社伝「伝子孫書」によれば、神功皇后が三韓征伐からの帰途に応神天皇を産んだ地に、敏達天皇3年(575)に応神天皇を祀ったのに始まる。「宇美」の地名も「産み」に由来するものである。平安時代ごろから石清水八幡宮と本末関係となった。鎌倉時代初期から安産の神として信仰されるようになった。別当寺も宇美山誕生寺と称していた。黒田家が1682年、宇美八幡宮に祭田を寄進した。
旧地名はやはり蚊田で、「産み」に因んで「宇美」(古くは「宇瀰」)と呼ばれるようになったという。
拝殿、子供連れの家族がお参りしていました。
楠の木が素晴らしく、まるで神様が宿っているかのようです。
聖母宮(しょうもぐう)、祭神は神功皇后、まるでマリア様の神社
その他、産湯水、胞衣が浦がある。
参考
住吉大神を祀り、比売大神を祀っていない。また、石清水八幡宮と本末関係にあり、宇佐神宮と本末関係に無い。
隣接地の町立歴史民俗資料館の学芸員さんのお話ですと、最古の地名は不彌(ふみ)国と魏志倭人伝(280~297)に出ている。蚊田も宇彌(宇美、うみ)も日本書紀(720)から出ているとのことです。つまり、地名は不彌(ふみ)から宇彌になり、元の地名は蚊田では無かったと考えて良い。産み(うみ)とは関係はありませんでした。
日本書紀で応神天皇は筑紫の蚊田でお生まれになったと書いたが、蚊田→カタ→潟の場所は博多湾沿岸部にいくらでも有ります。宇美町周辺は簡単に昔は潟で湿地帯であろうと理解出来る場所でした。
下関の住吉神社は応神天皇、神功皇后をここから勧進したとか、武内宿禰は宇美八幡宮の末社となっている。