梅と晋作 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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天神信仰を持っていた高杉晋作は、菅原道真公の梅にちなんだ谷梅之助と名乗っていたとも、長男の東一も初め梅之進と名付けたと言われるが、文人でもある彼は梅に相当、思い入れがあったようだ。

東行庵の花は第三代庵主、谷玉仙尼によるご努力で完成されたとか、春夏秋冬に花が咲くが、先ず初めに梅の花が咲き、桜、馬酔木、石楠花、山躑躅、躑躅、藤、紫陽花、花菖蒲、紅葉、山茶花、椿と一巡する。

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東行庵入口付近にある曲水の梅苑、これが一年で最初に開花し、結実する。左手の歌碑は白石正一郎によるもので、

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白たへににほえる梅の花ゆえに
            あけゆく空もみどりなるらん
とある。

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高杉晋作が愛した最初の梅は本箱の蓋に筆書きした梅の絵からはじまり、第三代庵主、谷玉仙尼さんの代に今の梅林となった。

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右は初代庵主、谷梅処尼、左は第二代庵主、谷梅仙尼

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土産物屋の青梅のソフトクリーム

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これらの幟が目印

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晋作餅はゆかりで包まれている。

菅原道真公の歌の一首
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
を思い出されます。春がそこまで迫っています。


参考

菅原道真公の飛び梅は元々は紅梅と言われるが、現在の太宰府天満宮の梅は白梅であり、高杉晋作も白梅を愛していたと言われている。

高杉晋作が希望した墓碑銘は:
表  故奇兵隊開闢総督高杉晋作、即
     西海一狂生東行生
   遊撃将軍谷梅之助
裏 毛利家恩古臣高杉某嫡子也