穴の意味 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

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穴の意味、候補発見

湾、入江、内海の様なものが穴、穴海か?岡山県の岡山平野、児島湖の名称の変遷にヒントがあった。

参考文1
地名の変遷:「吉備穴海(きびのあなうみ)」==>「児島湾」==>「児島湖」
岡山県南部にある「児島湖」は干拓・埋め立てなど地形の変化とともに、地名も変遷をたどってきました。 古代にはこの一帯は広大な浅い海で「吉備穴海」と呼ばれ、現在の児島半島は島でした。 17世紀初頭に河川の堆積作用や干拓が進み、児島が陸続きの半島となり、「吉備穴海」は「児島湾」と呼ばれるようになり、 さらにその後昭和34年には児島湾締切り堤防が完成し「児島湾」は淡水湖となり現在の「児島湖」と呼ばれるようになりました。

出所
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/KAN6/5_sodan/mame/topic18.htm

参考文2
源平合戦の時代、いやもっと下って、この古図が描かれた戦国時代まで、現在の岡山平野は、幾つかの島嶼[とうしょ]が点在する一面の浅海であり、当時は「瀬戸の穴海[あなうみ]」と呼ばれて、海流の強い讃岐[さぬき]海峡を避けた瀬戸内海の主要航路であったという。古図に描かれた島々は、早島、玉島、箕島[みしま]といった島のつく地名としてそのまま残り、広大かつ平坦な岡山平野に散在する丘陵として、市街化された今も、島であった往時の景観を偲ぶことができる。海の底が隆起したわけではない。海面が下がったわけでもない。この平野のほとんどは、干拓という名の農業土木によって造り出されたものなのである。

出所
http://suido-ishizue.jp/nihon/08/01.html

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