六連島散歩 | 日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツ

日本の歴史と日本人のルーツを解明します。

基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

ご質問などはコメント欄にお書きください。

学術研究の立場にあります。具体的なご質問、ご指摘をお願いいたします。

下関漁港の西端に六連島行きの連絡船乗り場があり、10時が第1便です。
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響灘にでて振り返ると左から金毘羅山、筋ガ浜を背景に行き交う貨物船が見えます。
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六連島の集落です。ほとんどが農家で、少数の漁師が生活しています。
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浄土真宗本願寺派西教寺本堂
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お軽同行の碑
夫の浮気に心を鬼の様になっていた女性が、信仰のおかげで夫婦揃って円満、念仏に生き安政3年、56歳の生涯をとじた。読み書きは出来なかったが、歌人として多くの歌が残されている。ご同行の生涯は各地の真宗寺院のお説教で話されている。
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アルコール漬の瓶詰ウニの発明で北浦海岸部の水産加工業に寄与した方の顕彰碑
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沢蟹か?
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花の栽培、下関、北九州に出荷する。
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帰路、本土と彦島の間、小瀬戸の北岸、伊崎町の安徳天皇のご遺骸を引き揚げたと云われる場所、赤間神宮のお旅所
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参考情報

下関市彦島の北西約5kmの響灘に浮かぶ溶岩台地の島です。日本書紀の仲哀紀に「没利島」として登場し、能因歌枕には「牟都留能志麻」と表記されている歴史のある島です。島内には、日本最古級の洋式灯台や雲母玄武岩などの名所旧跡が多く残されています。島の肥沃な台地では、温暖な気候を生かし、キク、カーネーション、ガーベラなどの花卉のハウス栽培が盛んで、「花の島」として知られていますが、瓶詰めウニの発祥の地でもあり、ウニをはじめとするサザエやアワビ、海藻類の採取も盛んに行われており、島内には釣りの好スポットも多くあります。

六連島の名の由来
1   周囲に馬島、金崎島、片島、和合良島など大小六つの島が連なっている
2  6人の入植者がこの島に渡ったのち、土地を分けるため縄で島を6等分した
3  韓国語のモッアール(集落)が変化した