付近に縄文時代早期の遺跡の他、紫雲山東福寺、菅原神社がかつてあった。東福寺の本尊の十一面観世音菩薩は現在、曹洞宗玄空寺の本尊として安置され、また菅原神社は横野八幡宮内の天満宮になっている。
安岡海水浴場から望む響灘、右手は観音岬、中央は白島、左手の海抜の低い平な島が藍島、関門航路は白島の右手から藍島手間にある。
横野八幡宮の西隣の天満宮、元は観音岬にあった菅原神社(紅梅社)
菅原道真公は太宰府に降られる途中、忌宮神社に逗留され、この横野の浜から北九州に渡られました。ここで、筑紫に渡海するにあたって一首、歌を歌われた。渡海の途中、響灘の海上から北浦海岸、蓋井島、藍島、若松半島を眺められたのであろうか! 北九州に上陸後、八幡東区の秦氏ゆかりの豊山八幡神社で歌を残されている。これが関門海峡の最短航路を直接渡海しなかった理由であろう。
遡って、白村江の戦いの敗戦の頃、額田王や中大兄皇子(天智天皇)、大海人皇子(天武天皇)が、蒲生野からここら辺りを歌われた。
参考
黒嶋観音、吉母に十一面観世音菩薩がおられ、渡来して来た秦氏が信仰していた。