愛と憎悪と無関心,「見られている存在」についての雑感・・・2012/8/5修正追記 | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。

1.
 よくね,愛の反対は憎しみじゃなくて,無関心っていいますよね。
 ある人の存在が,どうでもいいもの,自分自身にとって取るにたらないくだらないものである場合,人の合理的行動は,そんな人には関わらない,ほっとく,無関心となります。

 ある人の言動に憎悪を感じる,そして具体的行動に出る。それは,ある意味で,その人が気になって仕方ないからといえるでしょう。何らかの理由で気になって仕方ないのですね。憎悪の表現でもって,その人に向かっているとも言えるでしょう。なぜ,気になるか。そこがまあ,ポイントかなと思います。

2.
2012/8/5修正追記 
Indifference is the bestt(biggest,greatest,worst)crime in this world.
(無関心がこの世界の最大の(最悪の)罪である。)

正確じゃないかも。
 ”the best crime"という表現ってあるのかな・・・とか,思ったりします。

8/5追記 そう思った時点で英語表現をしっかり考えるべきでしたね(笑)
 その後,やはり気になって,"the best crime"なんで言葉はアイロニーでなければあり得ないと思いました。
 the biggest crime
  the greatest crime
  the worst crime
のいずれかだったと思います。
多分,私の遠い遠い記憶では,

Indifference is the biggest crime in this world. 

とエリ・ヴィーゼル氏は訴えていたような,その声がなんとなく蘇ってきました。

しかし・・・昨今の私のコメント欄の荒れた状況下で,誰も私の英語の用法間違いを指摘して嘲笑しなかったというのも,なにやらおかしみを感じてしまいました。
 

大学生のころ,英語を習得しようと思って,ヒアリング・マラソンというのをやってまして。
今は英語は宇宙語と化している状態です(泣)。

 ヒアリング・マラソンというのは,『English Journal』という雑誌プラスαで,ようするに,ひたすら英語のインタビューや講演やらをシャワーを浴びるように聞きまくって耳から入りましょうという教材でした。
 そこでのインタビュー,講演は,リアルタイムの講演,インタビューばかり。内容的にも,社会の各層,いろいろな活動をされている人が登場し,英語ということだけでなく,そこで語られていること自体,興味深いものでした。

 その雑誌
『English Journal』のある記事で,エリ・ヴィーゼルの講演がありました。
 彼もまた,ナチスの強制収容所の生存者です。

 その彼が来日し,講演したその講演。
 とてもクリアで聞き取りやすい英語でした。
 そして,今でも強く印象に残っている言葉。

Indifference is the bestt(biggest,greatest,worst)crime in this world.
(無関心がこの世界の最大の(最悪の)罪である。) 
*2012/8/5修正追記




  彼の体験,彼が講演で語ったこと,その中での,彼の思いを集約したワン・センテンス。
 
 その後,彼の代表作『夜』を読みました。
 彼の随想,評論も何冊か読みました。

 重いテーマです。

 しかし,まあ,フランクル大好きだったりとか,どうして,私は,こうもナチスの強制収容所関連に出会い,惹かれるのでしょう? 

 そして,どうして,家庭が監獄となり,夫が妻に対し,あるいは,父母が子に対して,暴虐の看守となるDVや児童虐待を,弁護士として取り扱うようになっているのでしょう。

 なんか,不思議ですね。
 なにものかがそうし向けているのかしら?
 そんなふうに思うことがあります。

3,
 私は呼びかけに無視することができないたちでして。
 呼びかけられたら答えたい。
 ただね,うーん!?な呼びかけもございまして。
 それに対しては,私は,無視ではなく,沈黙のまなざしをそそぎ,沈黙の表現でもって答えるということを学びました。

 私に向かって呼びかける人たち。
 まあ,無関心でいられない何かがその方々の内部にあるのかな?とか思います。

 匿名で私に呼びかける方々。
 まあ,事情があるならいいのですけど。
 でもね,

 あなたはそのあなたの姿をあなたの子に見せられますか?

 そうお聞きしたいですね。

 人は何者かに見られる存在です。
 
 神の目を感じる人
 「世間」というものの目を感じる人
 自分自身の中で自分の目を感じる人

 まあ,いろいろでしょう。

 子どもの目。

 それは次世代の目。
 単純に,子が親のように育つとはいいません。
 反面教師という言葉もありますし。
 でも,やはり見て育つということは言えるでしょうね。

 親の世代が子に対して語る言葉と実際の振る舞いとの間にギャップがあったら,それは欺瞞というものです。
 欺瞞は子に分かります。

 子に対し,「ウソをつくな」と言い続けた父が,こっそり浮気していたことがバレたら,子どもは,どう思いますでしょうか?

 そういうことからも,それぞれが自分の振るまいが,「見られている」ということを意識するとよいと思うのです。
 誰に見られていると思うのか?
 そこは個性もあり,文化もあり,まあいろいろでしょう。
 次世代の子どもに見られている,子どもが見ている。
 この点は,自分自身の有り様という問題を超えて,その子どもがどう育つかという面もあり,きちんと考えたいものだと思うのでした。

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