朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身 | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

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石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。

ひさしぶりのブログアップです。

私事ですが,昨日叔父が亡くなりまして。
昨日通夜,本日葬儀納骨。

昨日と今日で読経の文言が頭にこびりついてしまった。


帰命無量寿如来



南無不可思議光


帰命・・・・・
南無 ・・・・


絶対的帰依を表現する言葉なんですが・・・・・

蓮如上人の白骨の御文章というのがありまして・・・・

それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものはこの世の始中終、幻のごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身を受けたりといふことを聞かず。一生過ぎやすし。今に至りて誰か百年の形体を保つべきや。我や先、人や先、今日とも知らず、明日とも知らず。遅れ先だつ人は本の雫末の露よりも繁しといへり。されば、朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。すでに無常の風来りぬれば、すなはち二つのまなこたちまちに閉ぢ、一つの息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李のよそほひを失ひぬるときは、六親眷属集まりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて夜半の煙となしはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あはれといふもなかなかおろかなり。されば、人間のはかなきことは老少不定のさかひなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼みまゐらせて、念仏申すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。 


 葬儀で故人の遺体を見て,斎場で故人の顔を最後に見て,そして火葬があり,骨を骨壺に拾い,寺へ行き,納骨します。
 そこで,最後に,この蓮如上人の白骨の御文章です。
 この御文章,文語で読みづらいかと思いますけど,ご一読を。
 まあ,本当にそのとおりなんですけどね。
 怖い文章ですね。
 私たちが明日もまた今日と同じような一日と思って過ごす日常が,その実は無常なのだということ。
 私たちはその無常の世界に生きていて,明日もまた今日と同じような一日と思うことで,まあ「普通に」といいますかね,安定性を持って生きているのですけど,でも,現実は無常なので,その裂け目がいたるところにあって,日常と思って過ごす中でその裂け目に落ちてしまう。

 朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 

 そうそう,納骨の際の僧侶の法話がね,震災とフクシマでした。
 金と利便を優先して命を劣後させているこの国の支配層のあり方をはっきりと否定していました。
 正直驚きでした。
 でも,私は,その僧侶の言葉は正しいと思います。
 子ども達,孫達に,何を残すのか。
 無常の世の中でもね。
 人為で子ども達,孫達が苦しむ・・・・・。

 私,性格が基本暗くてね。

 将来世代に負担をさせないために消費税上げろなんて,そんなどアホウなことを言うより前にね,アメリカに貢ぐの止めろって思うんですけど。
 アメリカに貢いで,20年間,この日本の社会を悪くして。


 教育とかね。
 労働分配率とかね。


 内田樹さんがブログで書いていることなんですけどね。
 私も,同感。


 日本は,一握りの「エリート層」という人をあごで使う人種達とその他大勢の低廉な労働を供給する人たちに分かれていくように,それを目的として財界,政界,官界が動いているようにしか私には思えません。


 人為でそうなっていくのはね,受け入れられないですね。

 さて,


 朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。 


 私,小さいころ,本当に小さいころ,葬儀とか法事の席でこの一文を何度も耳にしてきまして。

 小さいころは,ゲゲゲの鬼太郎の世界とオーバーラップしたりなんかして・・・・・

 夜,怯えて祖母にしがみついて泣いたこともあったなぁ。


 時代は移りゆき,私の父母や叔父叔母から見ると,私なんぞまだまだ,「若いもん」でして・・・・。
 実際に私の感じます。
 なんというかね,抽象的な観念とかじゃなくて血肉化している信心の世界というか・・・・

 まあ,そんな週末です。

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