継美(つぐみ)(芦田愛菜)と「だるまさんがころんだ!」②~ドラマ『mother』 | 金沢の弁護士が離婚・女と男と子どもについてあれこれ話すこと

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石川県金沢市在住・ごくごく普通のマチ弁(街の弁護士)が,日々の仕事の中で離婚,女と男と子どもにまつわるいろんなことを書き綴っていきます。お役立ちの法律情報はもちろんのこと,私自身の趣味に思いっきり入り込んだ記事もつらつらと書いていきます。


 ネタバレ注意 
2010年のテレビドラマ『mother』
についてのシリーズです。ネタバレしますので,それが嫌という方はお読みにならないで下さい。


 このシリーズの前記事継美(つぐみ)(芦田愛菜)と「だるまさんがころんだ!」①~ドラマ『mother』で,ドラマ『mother』第10話「ひと目会いたい」で関連するストーリーを確認し,しつこいくらいに強調される「だるまさんがころんだ」に脚本家坂元裕二がまたも重層的な意味とイメージを込めているという指摘をしました。
 この記事はその考察部分です。
 あと,私もコワすぎる脚本家坂元裕二さんのようにはいきませんが,記事の中に,私が考えていることの布石,伏線をちりばめていきます。ささ,皆さん,気づくかな?


 まず,継美(つぐみ)からの連想で行きますと,渡り鳥のツグミがピョンピョンと跳ねてピタっと止まる動作を繰り返すところから,ツグミは,「だるまさんがころんだ」と関連づけられています。
 試しに,「ツグミ だるまさんがころんだ」でグーグル検索やってみて下さい。沢山出てきます。

 鈴原奈緒(松雪泰子)は,「怜南」と名乗って溌剌とした笑顔で遊ぶ少女を見て,「忘れなきゃ・・・いけないんだね。継美(つぐみ)も忘れたんだから。」と言います。
 しかし,視聴者は,その前に登場する「同じ月を見ていた」シーンと午後9時過ぎ非通知着信のシーンから,この少女は,表面では道木怜奈という人格を演じつつ,その底で鈴原継美(つぐみ)がしっかりといることに気づいています。

 脚本家坂元裕二が,いろんなお遊戯の中で敢えて「だるまさんがころんだ」を選んだこと
 あそこまでしつこく芦田愛菜ちゃん演じる少女に溌剌とした笑顔で「だるまさんがころんだ!」と言わせ続けたこと

 あの「だるまさんがころんだ!」の溌剌とした笑顔は,その表面的な明るさに反して,継美(つぐみ)を殺さないと白鳥園で適応できない少女の魂の悲鳴と見ることができます。「だるまさんがころんだ!」がツグミと結びつく言葉だからです。あの「だるまさんがころんだ!」の連呼は,「私は継美(つぐみ)なんだ!」と少女が叫び続けていると読むことができます。

 それは,第10話の最後に,奈緒と電話で話すことができた継美(つぐみ)の言葉から明らかです。
 この少女は,昼間は施設の職員が少女の成長に合わせた新しいズックを履いています。しかし,奈緒が第2話で継美(つぐみ)に買った小さくなった赤いズックと奈緒と室蘭を出たときからの黒リュックと,Chipper Bellの黒い帽子を持っていて,毎日,いつでも奈緒が迎えに来てくれるように準備していました。この少女は,午後9時ころに,ぼんやりと白い月を見つづけました。ようやく奈緒と電話で話せた少女は,いきなり継美(つぐみ)のトークです。そして,「いつ迎えに来てくれるの」「もう1回誘拐して」と懇願するのです。


 脚本家坂元裕二さんは,「だるまさんがころんだ”!」のお遊戯自体が持つイメージも重層的に重ねています。

 適当にネットで説明しているものをリンクします。あそびの大図鑑

 「だるまさんがころんだ!」のお遊戯が,①虐待された子どもが多くいると思われる児童養護施設で行われていること,②前記2のようにそこに継美(つぐみ)の心の叫びがあると読めること。

 鬼が「だるまさんがころんだ」の十文字を唱える時間だけ動ける。
 鬼が見ているところでは,自由に動けない。ピタっとフリーズしていなければいけない。
 鬼が見ているところで動いたら,囚われて鎖に繋がれる
 鬼が見ていない十文字,その瞬間を積み重ねて近づき,鎖を「切った」しないと解放されない。
 解放されても,鬼がストップといったら,その場でピタっとフリーズしなければいけない。
 そして,鬼の3歩で誰かが囚われの身となる。

 この「だるまさんがころんだ」のお遊戯のイメージは,児童虐待のイメージであり,

 そして・・・・・・

 施設内虐待のイメージでもある。

 もちろん,継美(つぐみ)が第11話で鎖を切って脱走することの前兆という意味もあります。


 とっぴと思いますか。
 あの明るく陽気な児童養護施設・白鳥園からかけ離れていると思いますか?

 先ほど,私は,継美(つぐみ)にとっての白鳥園は,彼女自身が選び取った人格を抑圧して適応しなければならない場だと説明しました。前回の記事でも,継美(つぐみ)にとっての白鳥園は強制収容所だと書きました。

 そして,多少なりとも虐待された子どものトラウマについて知っている人は,もう私のこの記事の途中から,「解離性人格障害」まで連想されていることでしょう。

 一般向けに分かりやすく言いますと,あまりにも酷い状況が長く続く中で,心が心を守るために現実感覚を麻痺させます。自分の心が身体から遊離して,自分が外から自分を見ているような離人感も出てきます。第1話第8話で,浦上真人(綾野剛)から虐待を受けているときの怜南の様子を思い出してみて下さい。特に性的虐待を連想させるシーン。5歳の芦田愛菜ちゃんにここまで演じさせたあのシーンです
 彼女がそれを演じて見せた彼女の天才性!
 とともに・・・5歳にしてあのシーンの意味を理解して演じる彼女の痛みも考えます。

 鬼に捕らえられて食われないために,フリーズし,身体を躍動させる魂を空中に遊離させて動かなくなる子ども達・・・


 解離性人格障害というのは,簡単に言うと複数人格が同一人物の中に存在し,入れ替わり立ち替わり表面に出てきて,ある人格が出ているときは別の人格は底に潜んでいるようなものです。

 私は,心理の専門ではありませんし,怜南&継美(つぐみ)が同一人物中の複数人格で怜南は解離性人格障害だなどというつもりはありません。
 厳密な診断の話はヤボです。重層的なイメージを織り込んでいくというドラマ表現の問題ですので。
 
 脚本家坂元裕二は,このドラマのストーリー展開の中で,解離性人格障害を十分に意識しているように思います。
 怜南が継美(つぐみ)になるという出発点からして解離性人格障害のイメージが滑り込まされています。
 この記事の関連では,先の「だるまさんがころんだ!」を連呼する怜南&継美(つぐみ)は,複数人格のイメージに結びついていきます。
 
 脚本家坂元裕二さんは,物事の表面の裏を設定し,裏の底を設定し,重層的にメッセージを織り込んでいかれる方だと思います。

 そして,この第10話で,児童虐待の問題に関連し,「虐待から保護された児童が,児童養護施設においても施設内虐待にさらされている問題」を滑り込ませているように思います。

 本当に,脚本家坂元裕二さんは,とってもコワい人だと思います。

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