5月10日(月)、茨城県筑西市出身の元プロ野球選手・田宮謙次郎さん(5日脳内出血で逝去、享年82歳)の葬儀・告別式が筑西市下川島のきぬ聖苑で営まれました。

祭壇は白菊でタイガースマークが、場内には阪神-巨人OB戦で着用した背番号22のユニホームなど田宮さんの活躍を示す品々が飾られ、田宮さんは阪神の応援歌・六甲おろしが流れる中で天国に旅立ちました。

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式には阪神球団の坂井オーナー、南球団社長、安藤統男元阪神監督、田宮さんや山内一弘さん(故人)とともに大毎ミサイル打線を形成した葛城隆雄さん、筑西市の吉沢範夫市長など170人が出席。
阪神元監督の吉田義男さんや星野仙一SD、ソフトバンク王貞治会長やヤンキース井川慶選手などから献花が、阪神の真弓明信監督、オリックスの岡田彰布監督、阪神OB会の田淵幸一会長など多くのプロ野球関係者から弔電が寄せられ、偉大な野球人の死を悼みました。

参列した坂井オーナーは「改めて偉大な方だと感じた。いい報告ができるように頑張らないといけない」と5年ぶりのリーグ優勝を約束。
田宮さんがアドバイザーとしてフロント入りした際に球団広報を務めていた南球団社長は「親子ほどの年の差があったが、ためになるお話をたくさん伺った」と振り返りました。

なお9日(日)に同所で営まれた通夜には、元日本ハム監督の大沢啓二さんなど300人が参列。
田宮氏さんの大毎在籍時、南海の主力選手として対戦した大沢さんは「ミサイル打線の中心選手だった。よく打たれたね」と語り、「野球界の発展に貢献してくれました。ゆっくり休んでもらいたい」と故人をしのびました。

また一人、郷土の誇る偉人が旅立ってしまいました。
あらためまして、ご冥福をお祈りいたします。



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